2024/04/17

 VOL.14寄稿者&作品紹介02 鶴見済さん

 今号が初寄稿となる鶴見済さん。私の本棚にはむかしから鶴見さんの御著書が何冊か並んでいて、なかでも「無気力製造工場」にはちょっとした思い出があるのです。新刊時に入手して、第1章に収められた《「なんだか不発な毎日」をワールドカップと自分に見た!》という一篇を読んで、そこで語られているストーンウォッシュのGジャンにまつわる逸話にいたく共感して(なんだか「この世の中で生きていくことの嫌さ」の本質を表現している、と感じた)、当時自分がフリーランスで関わっていた仕事で、鶴見さんに寄稿依頼したいなと思ったんですが...編集担当社員さんにはピンとこなかったみたいで、うまく進められなくて。時は流れて、現在の鶴見さんはつながりづくりの場「不適応社の居場所」を主宰。近著「人間関係を半分降りる── 気楽なつながりの作り方」では現在の生きづらさについて、自身の体験を踏まえて考察しています。




そんな鶴見さんが「エッセイを書くのはひさしぶり」とご寄稿くださったのは、鉢花に夢中だったころの話。作品冒頭に“20年位前に花にはまっていた、とこれまでずっと思ってきた。けれども間違っていたかもしれない”とあり、それでは自分は、なにがおもしろくて部屋にいくつもの鉢花を置き、愛でていたのかについて考え始めるのですが、そのスケール感がとっても桁違い! きれいだから、とか、インテリアとして、とか、そういうのとはかけ離れた、異次元の植物栽培体験記が展開するのです。





中〜後半に出てくる、西表島で初めてマングローブ(ヒルギ)と出会った衝撃についての箇所にも惹き込まれました。“自分はヒルギの鉢を、ゆくゆくは本物の海岸のようにしたかった”という、壮大な野望の行方とは!? ぜひ小誌を手に取ってお確かめください。そして、長い時間が経ち、昨春の文フリ東京で鶴見さんとお目にかかり(ご縁を繋げてくれた木村重樹さんに感謝!)、あのとき果たせなかった寄稿依頼ができた&ご快諾いただけたこと、とっても嬉しく存じます。




 そして植木鉢のなかでのエネルギーの循環を考える。その空想は時に地球上のエネルギー循環にまでに及ぶ。

 葉や花の死骸は見事に土に還っていった。それはまた根から吸い上げられて、新しい花や葉をつける養分となることだろう。

 自分の髪や爪のかけらも、土に還って植物の養分となったのだ。まるで生まれ変わりのようではないか。

 世の中はうまくできているものだと満足が行くのだった。

 こんなことをして面白がっているので、自分は切り花を買ったことがない。花が好きでやっているはずなのに、切り花を買う気がしない。

 つまりこれは花の趣味ではないのではないか。何か別の「植物実験」とでも言うべきものではないか。そんな疑問が湧いてくるのだった。


~ウィッチンケア第14号掲載〈植物実験をしていた頃〉より引用~



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Vol.14 Coming! 20240401

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