2013/05/31

寄稿者&作品紹介を終えて

私にとってマラソン(しかも途中転倒)みたいな5月も終了。入稿作業時に接した作品をあらためて読み各寄稿者とのやりとりを感慨深く思い出し...って、もう思い出!? いえいえ第4号のガイドブックができたばかりですってば。明日には「まとめ」をアップしますのでまだ読んでいないという方、ぜひ「立ち読み」などよろしくお願い致します。

先行販売を開始した3月末から今日まで、きっと今後に繋がるであろう、新たな出会いも多かったです。あいかわらず「表紙見てパラパラッとめくっただけじゃどんな本かわからない!」という意見少なくなく...この件に関しては発行人ひたすら思案中、頑冥固陋に「やっぱりむかしから国内LP(やCD)や本の帯は好きじゃない」という個人嗜好から離れられず。なんというか、寄稿者が「ひとことでぱっと説明できないもの」を作品に仕上げて、それをさらに誌として纏めたのに、○○○は×××である! なんてキャッチコピーつけられないし、ましてや誰々さん推薦!! みたいなコンテンツと関係ない人での惹句もどうなの、と...いやいや、でも「売り物である本」の発行人として、それは無責任なきれいごとではないか? って、そもそも「売れる本」づくりで通常業務してきた人間がなにをいまさら、って、だからよけいに小誌では従来とちがうやりかたで...mmmスイマセン、堂々巡りはここまで。

具体的な解決策としては、当ブログやFacebookページ等がその役割をできるだけ果たしていければ、といまは思っています。最後に来月以降のお知らせをふたつほど。

【その1】
ウィッチンケア第4号発行を機に、大谷由里子さんとひさしぶりに再会しました。大谷さんは、かつては横山やすしさんとの逸話で有名でしたが(そのことについても書かれた『吉本興業女マネージャー奮戦記「そんなアホな!」』 出版時に私は仕事をご一緒しました)、いまは会社経営者として多方面で活躍されています。その大谷さんから声がかかり、不肖私が講師をつとめるセミナーを開催。大谷さん命名による『多田洋一の「引っ込み思案」のライターが語る「書いて伝える楽しさ」』という題目で、話をすることになりました。詳細は下記URLをご参照ください...頑張ります! 頑張りますとも!!
http://www.shienjuku.com/event/archives/2013/07/7393.html

【その2】
詳細は来週発表予定ですが、小誌寄稿者の武田徹さん、仲俣暁生さんによる、ノンフィクションに関するトークショーが下北沢の書店「B&B」で6/21(金)におこなわれます。個人的には、いまもっとも話を聞いてみたいお2人の、オープンな場では初めての対談。みなさん、いますぐスケジュール表にチェックを! 内容その他については追ってSNS等でも告知します。

2013/05/30

戒め&その先へ

4月1日に発行したウィッチンケア第4号の内容についてお知らせしたく、今月は寄稿者&作品紹介を続けてきました。なんだか私事の駄文をだらだら書き連ねたものも多々ありですが、みなさまに読んでいただきたいのは、あくまでも各作品からの引用部分。興味を持ってくださったかた、ぜひ小誌を手にとってくださいませ!

ほんとうは1日1作ずつ紹介するつもりだったのですが、今月の私はかなり悲惨な目に遭いまして...ええと、フリーランスが体調不良をカミングアウトしてもろくなことがないと過去の経験でわかっているのですが、でももう順調に回復していますので、自身への戒めとして、ちょっと。

GW前からあまり調子がよくなくて通院などしていたのですが、5/9の午後、総合的不摂生のツケでしょうか長年抱えている「腰の爆弾」に着火(!?)、世の中には腰椎4番5番あたりでつらい思いをしている方が多いらしいのですが、私の場合は2番と3番の間がクラッシュしてしまい(椎間板ヘルニア)、自室の床にダウン。財布/保険証/携帯電話などを身のまわりに集めてしばらくじっとしていたのですが悪くなるばかりで、けっきょく救急車→通院中の新宿にある病院へ。そこでCTなどの検査後一晩安静(というか様子見というか...放置というか)にしていたのですが状況改善せず、さらに専門医のいる八王子の病院へ転送(中央高速、もうちょっと道路整備してくれ〜、ガタガタッ)。私が朦朧としている間に緊急手術と決まり、5/11の朝に全身麻酔かけられて、その後ベッドに貼り付け。

書きかけだった出門みずよ×中野純さんの紹介文を天井見ながらアップできたのが、5/14で、その後友田聡さんの紹介文までは入院中に書いていたのでした(でもなんとかコンプリートしました!)。...もう、楽しみにしていた5/10の千木良悠子さんのイベントにはいけないし、小誌の今後について大事な約束をしていたUさんとのランチミーティングは予約解除だし、原稿は飛ばしちゃうし、GW前から寄稿者のおひとりと一緒に行動するはずだったある打ち合わせも、けっきょく私抜きで進めてもらわざるを得ず、さらに来月後半に実現させようと動いていた企画も宙吊りに...。ほんと、体調管理の大切さを思い知ることとなりました。ご迷惑をおかけしたみなさま、申し訳ありませんでした!

手術までの2日間は...ああ俺は関ヶ原の合戦で斬られ放置された武士よりは幸せなんだ、と思っていました。充分な施設で看護体制も頭が下がるばかり、痛み止めの点滴あるし、野犬も追い剥ぎも寄ってこないし...でもあの痛さはもう勘弁。丸2日、できれば気絶したいと思ってましたよ。うつらうつらしてもすぐに激痛で意識戻っちゃうんで、1日の長いこと(まだ20分しか経ってないのか、みたいな)。

医師が手術と判断してくれたおかげで、経過は思った以上に順調です。一時は歩行その他にリハビリが必要かも、と言われましたが、幸いなことにコルセットを着ければすでに1人で外出も可能なほどに回復しています。もうね、若いころからなんだかんだ「もっとキツいの」も何度か経験しているのでへこたれませんが、しかしなんとも想定外で、いろいろ考えをあらためるよい機会になりました。

ということで、
病室から眺めていた八王子のインターチェンジ近くの夜明け風景。



そして、回復して自力で辿り着けるようになった、院内2階のカフェ。




...かつて(20世紀)社会復帰を急ぐあまり自宅の階段からこけ落ちて病院にリターン/マイナスからやり直しした苦い経験がありますので、今回はあせらずおとなしく...いやでもフリーランスは完全歩合給みたいなものですので、そうも言ってられませぬ! 厳しい肉体労働以外はなんでもやりますので、仕事大募集です!! そして、昨年は諸般の事情で6/1以降フリーズしてしまった当ブログですが、同じ轍は歩みませんぞ。今後もお知らせしたいこと、まだまだあるのです。

2013/05/29

vol.4寄稿者&作品紹介29 吉永嘉明さん

「貴女は僕の永遠の永遠の永遠の……という一文、一体私は永遠の何だろうとドキドキしてしまいます。」

小誌第2号に「ジオイド」、第3号には「ブルー・ヘヴン」という、自伝的ではあるものの真偽のほどがわからない小説を寄稿してくれた吉永嘉明さん。今号では明らかに作風が変化し、本人曰く「子どもの頃に多く読んで影響を受けた、古いユーモア小説のような作品を」...とのことでした。ちなみに本作品のお原稿、私は手書きのものを受け取りました。それも原稿用紙ではなく、リングノート20枚くらいに縦書きした現物を、喫茶店でビリッと破って...ほんとうは、草原にいくまえのモンモンとした金吾郎さんの描写がさらにたっぷりあったのですが、残念ながらその部分は今回掲載できず。ぜひ、吉永さんには、Web上ででも完全版を発表してもらいたいです! せっかく新しいマックも買ったことですし、ぜひぜひネット降臨してください〜。

...しかし、作風は変われども、吉永さんの恋愛に対する純粋な感情は、以前の作品と変わらず爆発しているようでして...たとえば「つまり今までのオレはあまりに無神経で妄想家で感傷過剰で、よって現実のリアル、女心がわかってなかったってことだ。たぶんいままでの体験はみな恋愛未満で、オレは初恋さえまだなのだ」と主人公の立派な大人に言わせてしまうなんて...ある意味でこれは並大抵じゃない力業のように、思えてしまったり(少なくとも私がこんな“投げ”を打ったら、脱臼か椎間板ヘルニアだなw)。そして、意中の女性に思いの丈を綴って玉砕だなんて...「人はパンのみにて生きる。そして三度の飯より飯が好き」なんて自作内に書いてしまう私からすると、羨ましいです! さてそんな吉永さんですが、お会いしたさいには「ものすご〜く長い書き下ろしを執筆中」と仰っていったのが気になります。いったいいつ、どんなかたちで、我々の目に届くのか? なかなか完成しない、と創作の苦しさを語っていた吉永さんの新作を読める日、ほんとうに待ち遠しいです!

 郷愁に浸る金吾郎。しかしまだ気付いていない。
(いや待てよ。そういえば3人とも、付き合うきっかけは向こうがつけてきて、オレはなんとなく従属的に反応したんじゃなかったっけ。そして最後は3人が3人とも、いわばポイ捨て。そんなの本当の恋と言えるのか。それにそれに、虞美人草さんとはやってないんだよな。セックスしてないんだよな。そんなのが恋なのか。どうなんだ、どうなんだ??? 
 いや、あれは恋じゃなかったんだ。きっとそうだ。いわば犬と同じなんだ。汚れた犬を飼うようなもんなんだ。そして飽きたらポイ捨てだ。しかしそうなると、最後の相手、千代子とはどうだったんだ。これはちょっと、とても重大なことだぞ。うーむ、むむむむむ。あっ、思い出したぞ。あのはるけき夏の日。シネヴィヴァン六本木でレイトショー観よう、ってんで千代子と約束した日、当日、あいつはおかあさんを連れてきたじゃないか。当時はそれがどういう意味かわからずにただ映画見てメシ食って帰ったんだっけ。そしてオレがプロポーズしたんじゃないか。やっぱり、過去三回と同じパターンだ。するとすると……ああ、恐ろしい。ブルブルブル、言いたくない。でも言わぬ訳にはいかぬ。オレはこの先、千代子に、千代子にポイ捨てされるのだぁ! ひぃー、大変だぁ。どうしたらいいんだ。ひぃー。神様! 神様! 負けちゃだめだ! 負けちゃだめだ!)


ウィッチンケア第4号「タンポポの群生」(P170〜P177)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/28

vol.4寄稿者&作品紹介28 希屋の浦さん

「分からなくても大丈夫。何、簡単だよ。ボクの言うことをやるだけで壁は壊れるんだ」

希屋の浦さんは小誌初の覆面作家であります。私、創刊時には漫然と「本名または通名での署名原稿」と思っていたのですが号を重ねるうちにそのことにこだわること自体もどうなんだろうなどとも思い始めましてつまりいろいろなことが流動化していくプロセスをも丸呑みしてしまおうかというわけなのですが、しかし、私、希屋の浦さんについて多少のことは存じ上げているのですがそれをここに記して良いものなのかどうか...あくまで作品ありき...それだけでよいのか!? mmm、とにかくネット上で「希屋の浦」で検索すればわかることはオープン情報として...たしか、お原稿のやりとりをしていた頃は宮城県の女子大生で、今春めでたく卒業&就職なさったようなのですが、しかしその後さらにいろいろ(これ以降は、ググるなりなんなり)...。

あと、私と希屋の浦さんとの個人的なエピソードをひとつお伝えして紹介文としましょう。希屋の浦さんからいただいた最初のメールには「プロフィール欄の寄稿者名に誤植があり」との指摘がありました。えっ!? そんな...ありましたとも! 校了時まで正しい表記だった名前の1文字が、似てるけど違う文字に。希屋の浦さん、ご指摘ありがとうございました! そして作品内に登場するフランソワはなんとも慇懃で、なんだか私の部屋や所持品のなかにもいつフランソワに変態するかわかったもんじゃないものが混ざっているような気がしましたが、それでもとにかく麻佳さんには、どこから入ってきたのか尋ねているのに小理屈をこねてたぶらかそうとする輩に対し、「ちゃんと質問に答えろ!」くらいは、一度ぴしっと言ってほしかったかもw。

 麻佳は耳をふさいだ。外の世界は嘘であふれているのだから。過去なんて要らない。要らないモノは聞かない。聞きたくない。
「ごめんごめん、でもボクはアサカの味方だよ?」
「そんなの分からない」
「アサカは強情だなぁ。どうすれば信じてもらえる?」
 麻佳はさきほど疑問に思ったことを訊いてみることにした。
「まずどこから入ってきたの?」
「いや、ボク人間じゃないから。『不可能』は常に可能だよ」
 ますます怪しくなってきた。これは空腹が見せる幻だろうか。
「少なくともボクはアサカの願いを叶えるためにいるんだ」
「わたしの願いはこの世界にずっといることよ」
「ちょっと違うね」
 フランソワは本当に麻佳の何を知っているのだろう。自信たっぷりに否定されると疑問より先に感心が立ってしまうのだから不思議だ。


ウィッチンケア第4号「朝の所在」(P164〜P169)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

vol.4寄稿者&作品紹介27 岡倉大恭さん

「皆、もっと面白い人生を送れ、それが出来なくても未来永劫語り継がれるようなことを考えてみろ。」

「職務規定通りに」と「規則なので……」。いずれも岡倉大恭さんが寄稿してくれた<「墓読み」の生活>内での「しゃべり言葉」なのですが...これをわざわざ声として表現するあたりに、岡倉さん独特の「地の文ワールドにずぶずぶ嵌められてしまいそうな」作風の秘密があったり!? あいや、そのへんはもっと体系的に小説を読むスキルを持った方々にお任せするとしましょう。京都在住で、「季刊メタポゾン」などにも作品を発表している岡倉さん。作品内の「墓読み」という職業から、私は出版・マスコミ業界の気配を感じ取りましたが...まあ、そんな読み方もベタで野暮。そして私は年齢的に、そろそろ読む側より読まれる側のほうが身近に感じられますが、さて私の人生を面白がって読んでくれるような人って...しょんぼり。

そして、岡倉さんの作品を読んでいまして、私は何度か登場する満員電車という言葉に、自分の暗い過去を照らし合わせてしまうのでした。いやあ、あれは私、苦手で...けっこう、かつて勤め人を辞めた最大の理由は「毎日満員電車に乗りたくないから」だったかもしれない。会社の将来性とか社内の人間関係とか、そういうことよりもまず、家から身につけてきた服や靴がいきなりぐっちゃぐっちゃにされて、人の隙間から見える中吊り広告にはほとんど興味ないし...みたいなあの空間にいることが好きじゃなくてねぇ。アホかと言われそうですが、私、会社員の末期、スーツやブレザーの襟が二つに折り返されている部分(首から胸にかけて)が、やけに重たく感じられてウツでした。でっ、もし私が「墓読み」のように周囲の人の人生を読めたら...ちょっと、自分のことで精一杯なので、読む前に途中下車するかもw!

妻とは会話が減ったし、夜の営みなどほとんどない。それにまだある。こう不景気だと年金は大丈夫なのか。貰えたとしても、我々の上の世代よりも金額が少ないのではないかと。これでは働いているのがバカバカしい。自分の墓を読んでもらいたい墓読みは、そのとおりだと相槌を打つが、このあたりの話になると、自分の目的を忘れて話に加わる。最近の墓についての議論が始まる。最近は同じ墓が多くなった。だが、それは墓の形が同じという意味ではなく、読みとる内容、つまり人々の人生が同じなのだと。墓読みとて、波乱万丈の人生を送った墓や、生活は派手ではなかったにしろ深遠な思想を持った墓を読みたい。そういう墓を掘り出しもののように見つけるのが楽しみの一つなのだが、そういう墓はとっくの昔に読まれているか、早い者勝ちでなかなか見つからない。だから、紋切り型の墓ばかりを読むことになる。だが、人々の人生は墓読みではどうすることもできない。この結論に達するとお開きになり、また飲もうと言ってそれぞれの電車に乗る。墓読みは話に満足して、依頼のことなど大抵忘れている。

ウィッチンケア第4号<「墓読み」の生活>(P160〜P163)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

vol.4寄稿者&作品紹介26 橋本浩さん

「そうしているうちに男性店員が私のところにやって来て、救急車をお呼び致しましょうか、と覗きこむように私に言う。」

「水商売、時々、物書き」...というのは、小誌に掲載した橋本浩さんの、プロフィールの一部。なんか、個人の美学を漂わせているフレーズで、私には真似できないや、と脱帽します。「水商売」も目を引くけど「時々」を挟むと「物書き」もぐっと際立つような言葉の並べ方。私は自分のプロフィールに関してはまるきしダメダメなのですが(それを語り出すと長くなるのでやめときますが...)、でも人のプロフィールを読むのはものすごく好きでして...とくに「これってごく普通にとればいいのか? あるいは戦略的なのか?」と立ち止まりたくなるようなのが好きでして。正確には思い出せませんが、某文芸評論家の雑誌プロフィール欄に「デッド・ケネディーズの招聘で...」といったくだりを見つけたときは、これはネタでしょ! と思いましたが真偽は不明。っていうか、この固有名詞で単純に反体制/ハードコアパンクを思い浮かべて某氏と結びつけるから、まんまとしてやられるような(...そもそも招聘したのはジェロ・ブアフラ?)。そして橋本さんの「水商売」についても、じつは私、よく知りません。クラシアンに勤務経験あり、だったらどうしようw。

橋本さんの寄稿作「胸とパスタ」の主人公は困った悶絶男子ですが、しかし、私、この男が胸の中で呟いている「いやらしい」っての、個人に引き寄せるとけっこう共感できました(って、私に共感されてもこの男の“問題”は解決しませんが...)。高校生の頃、隣のクラスの超美人となんとかデートの約束をとりつけまして、原宿のブランコに乗ってお茶をする喫茶店に入りまして、その超美人がトイレにいってしばらく戻ってこなかったとき、なんかのはずみで妄想のスイッチが入ってしまい、ブランコで待つ私は考え得るすべての可能性で頭が膨張し、軽く痙攣しながら冷や汗を掻いていたという...単純に、女性には身だしなみに時間がかかる場合がある ということを理解していなかっただけなのだと思うのですが、あっ、でも次のデートはなかったですね。...そして、小誌掲載をきっかけに、橋本さんの創作活動がより自由で幅広いもになればいいな、と私は思っています〜。

 私は微笑んでいる女の顔をひとしきり見る。女の口はもう動いていない。女が完全に咀嚼を終えているのを確認すると、私は視線を口から首、そして胸元へと移動させる。口腔内の咀嚼により唾液と混ぜ合わされ、細かく、そして柔らかくなった一塊のパスタが、食道を伝いそろそろ胃の内部に到着する頃合い。それは女の左乳房の少し下あたり、目視で正確にステーキだと確認できる肉塊の上に蓄積されている。ステーキが胃で消化されるまでに費やされる時間は約四時間。ステーキを食べ終えてから二時間も経てばそれは原形を留めていないはず。つまり女がステーキを食べ終えてから経過した時間は少なくとも二時間以内。いやらしい、と私は胸の中で呟く。なんていやらしい。

ウィッチンケア第4号「胸とパスタ」(P156〜P159)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/27

vol.4寄稿者&作品紹介25 木村重樹さん

「すでにデジタル・デバイス界隈でのヴィジュアル・イメージ・シンボルは(Twitter にせよ、Facebook にせよ)例のちっぽけな(個人ユーザを識別する)サムネイル大の「アイコン」に集約されつつある。」

木村重樹さんと今号について打ち合わせを最初にしたのは、昨年の秋。富ヶ谷小学校近くの「他人」でお昼をご一緒しましたが...その店もつい最近なくなったとのこと。代々木上原界隈にはむかしながらの中華屋さん、多かったのにな(中華丼がおいしかった「東洋」とか)...って遠い目しても時代は逆行しません。そして小誌第2号掲載「私が通り過ぎていった“お店”たち」、第3号掲載「更新期の〝オルタナ〟」に続く木村さんの寄稿作は、そんな逆行できない時代におけるプリンテッド・マターについての考察。いやぁ私、「他人」のもやしそば(現物)がどこかのサイトからDLできるんだったら絶対したいですが(画像はまだ「食べログ」にあるのが、なんともw)。...しかしビッグデータの時代って、デジタルコンテンツ化されていないものがとっても見つけにくくなっていません? いや、探す手間はむかしと同じなんだが、その手間が、えらくかったるく感じられるというか。

世の中はものごころついたころからずっと“便利”な方向に流れ続けていて、そのなかでも「アナログからデジタルへ」というのはかなり大きな変化、というのは感覚的にわかるのですが、しかしそのことに対して私は...とにかく落ちこぼれないようについていこう、くらいかと。紙媒体の発行人が言うのもなんですが、私、「本にはやっぱり本としての手ざわり云々」みたいな感覚、ほとんどないです。「音楽聞くならアナログ盤で」とか「映画は映画館で」とかも(別体験、という認識はあり)、ようはそのときどきの自分の生活に取り入れやすい形式であれば、まあそれでいいやって感じ。iTunesに表示されるジャケット眺めながらMP3音源聞いているのがデフォルトになって、もう数年。むかしは見知らぬ町の駅に降り立つと、どの方角に「チェックしなければいけないレコード屋」があるか、気配でわかったんですけどね。でっ、思いがけず名盤を発見したり...最近はそれもネットで済ましちゃうんですけど。あっ、でもさすがに古い人間なんで「セックスはヴァーチャルで」ほどには“進化”できてないと、たぶん思います〜。

 かつてアナログ・レコードがコンパクト・ディスクにシフトしていった結果、カヴァー・デザインの妙やヴィジュアル・インパクトがみるみる衰弱していったこと、最大収録時間が(LP盤の倍近い)80分弱にまで増大したことで、アルバム単位の〝まとまり〟や完成度が、なんだかグダグダになっていったこと、A面・B面という仕切りもなくなり、「ひと粒で二度おいしい」的なお楽しみもなくなっていったこと……これらに相当するような〝喪失感〟を、ロートルな「印刷物フェチ」は、恐らくは今後日々年々まのあたりにしていかざるを得ないような予感がしてならない(事実、携帯端末の殆どが1画面構成である以上、「見開き裁ち落としで写真掲載」とか、旧来の左右一対のページ平面を表現の場としてきたデザインやレイアウトもまた、根本的に発想を改めざるを得ないのだろう)。

 ところでデジタル・データの界隈にも、ある種の〝コレクター〟は存在するのだそうだ。いわゆる「(違法)ダウンローダー」と呼ばれる手合いは、高速通信回線の24時間常時接続が常態となったゼロ年代初頭以降、とにかく1年じゅう、ネットの大海に放流された(違法)アップロード・データを〝落としまくる〟ことに日夜血道をあげている、という。「そんなに落として、いつ観る(聴く・読む)のですか?」と尋ねてみると「老後の楽しみだよ!」と彼らはうそぶくらしいのだが、データ保存先のCD-RやDVD-Rといった光学メディアが、そんな将来までもつ保証は何もなく、その前に本格的な「クラウド・コンピューティング」と「超高速通信回線」が実現した暁には、箪笥預金よろしくメディアに焼き溜めておいたデータ群には、まだ何らかの〝アウラ〟が認められるのだろうか?(奇妙なもの言いかもしれないが、なにせそれらのデータは〝オリジナル〟ですらないのだ!)


ウィッチンケア第4号<マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」>(P150〜P155)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/26

vol.4寄稿者&作品紹介24 やまきひろみさん

「マグカップはすでに10年以上は使っているもので、黒地に真っ赤なベロのマークが描かれている。」

小誌第2号に「ふたがあくまで」、第3号には「小さな亡骸」という小説を寄稿してくれたやまきひろみさん。通常業務ではライターとして幅広い分野でのご活躍、私がご一緒させていただいた書籍も、もう二桁に届くくらいはありましたっけ? 今号ではニューヨークが舞台の、かつてブログに発表していた自身の体験をモチーフにした作品を書き下ろしています。作品内の〝ブツ〟というのは...ミステリーではないのでネタバレしても大丈夫だと思いますが、ローリングストーンズのコンサートチケットのことでありまして、でっ、今号掲載分は「朝の部」...つまり前半だけでして、後半の「夜の部」はウェブ上で読めますので、みなさまぜひぜひ、お楽しみください。

ストーンズ、私も好きです。ミック・ジャガーの初来日、バンドとしての来日ライブも2度いったし。...しかしストーンズには強烈に強力なファンが数多くいらっしゃいますので私なんぞつねに及び腰でして昨年もロンドンまでライヴを観にいったバンド仲間の先輩からキーホルダーをもらいありがたくギターケースにぶら下げているという...。ちなみに私のリアルタイムストーンズ初体験は「山羊の頭のスープ」(いや、ラジオで聞いた「Happy」かも...)で、最初に買ったレコードは「悲しみのアンジー」のシングル。それで、ここ数年ストーンズ関連で好きなアルバムというと、ミック・テイラーの「MIck Taylor」とハーヴェイ・マンデルの「The Snake」だったりして(...って、べつにブルースブレイカーズファンじゃないんですけれども)、「Giddy-Up」や「The Divining Rod」みたいなクロスオーヴァー気味のギター・インスト聞くと、胸が熱いんですわ。

 結局、いつもそうだ。自分では誰よりも早く並ぶつもりで家を出るのに、結局いままで一度も一番乗りになったことはない。
 やや意気消沈しながら、ロバートは8番目として列に加わる。
 寒い。自宅を出てからすぐにタクシーに乗り込んだためあまり感じていなかったが、ここ最近で一番の冷え込みかもしれない。今日は10月29日。2006年のニューヨークの冬はもう始まっている。冷たい風がロバートの頬を鋭く刺す。シアターの開く10時まで立って待ち続けることができるだろうか。前の7人はどうなのだろう。一体何時からここにいるのか。
 するとロバートの前に並ぶ7番目の男が、「ちょっと近くのスターバックスでコーヒーを買ってきたいので、この場所、取っておいてくれませんか」とロバートに声をかけてきた。それを耳にした3番目と4番目のカップルおよび6番目の男が、7番目の男に「自分の分も買ってきてくれ」と口ぐちに頼み始めた。
「わかった、買ってきますよ。あなたは?」
「いや、私は結構だ」。ロバートはチェーンのコーヒーショップのコーヒーは決して飲まない。何かあたたかいもので暖をとりたい気はするが、まだ先は長い。今はまだ我慢しよう。
 「じゃあ、すぐ戻りますんでよろしく」
 7番目の男は通りを駆けて行った。
 果たして〝ブツ〟は手に入るのだろうかとロバートはまた考える。ここで〝ブツ〟が売られたとしても、8人分も〝ブツ〟があるとは思えない。というか、もし7人分はあって、8人目の自分でなくなったらどうする。そんな酷な現実に自分は耐えられるのか?


ウィッチンケア第4号「8番目の男 朝の部」(P144〜P149)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

vol.4寄稿者&作品紹介23 久保憲司さん

「僕がこの川崎さんの一番の秘密を誰にもしゃべらなかったことが『霊界対反原発運動の戦い』を複雑にするとは、さすがに気づかなかった。」

昨年は「ザ・ストーン・ローゼズ ロックを変えた1枚のアルバム」「ダンス・ドラッグ・ロックンロール ~誰も知らなかった音楽史~ 」、そして来月には「ダンス・ドラッグ・ロックンロール2 ~“写真で見る"もうひとつの音楽史~」と刊行が続いている久保憲司さん。自身の体験をベースに音楽シーンを解説する文章スタイルが私にはとっても心地好く、とくに昨年出た「ダンス・ドラッグ〜」には、音は好きだけれどどんなポジションにあるのかわからないバンドについても詳しく紹介されていて、とってもおもしろかったです。たとえばStumpとか、私はかなり後追いで聞いて好きになったんですが、久保さん、リアルタイムで「ヘア・スタイルの真似した」とか書いていて、びっくり。〝C85〟っていうムーヴメントがあっただなんて...輸入盤屋であてずっぽう買いしていた人間には、点が線になる箇所が盛りだくさんでした(ちなみにそのスタンプ、この「Buffalo」とかみたいにベースが癖になるバンド)。

さて、そんな久保さんは前号掲載作「僕と川崎さん」に引き続き、今回も川崎さんを主人公にした小説を寄稿してくれました。あいかわらず懐が深いというか、どこか達観しているというか...Twitterなどでもけっこうきわどいこと、発言のさいに勇気のいりそうなことを、クボケンさんはサラリと力強くアウトプットしちゃう印象がありまして、その独特の語感は本作でも同じです。なんというか、ウソかマコトかわからないような登場人物のエピソードが自分語りのような筆致でリズミカルに綴られ、読み進めるといつのまにか抜け出せなくなってしまう...。久保さんによると、この物語はまるっきりのフィクションでもないらしく、さらに、入稿後の数ヶ月に現実と小説がシンクロするような体験も多々あって、とのこと。ってことは、この物語はもっと奇想天外な方向へと続いていくのかな?? ぜひぜひ、継続希望です! 

 みんな楽しそうだ。松沢さんと川崎さんは昨日から蜂谷さんの家に泊まり込んで、カムジャタンを煮ている。もう36時間以上も煮ている。そして、オナニーやウンコやら反原発やヘサヨや風営法など、いろんな問題について話し合っている。
「中学生か」とツッコミたくなるが、これから調布住宅ではこのような会話が病原菌のように広がっていくのだろう。回覧板を持ってきた元高校教師のおばちゃんなんかも加わり、みんなで団地の回りを掃除する時にもこんなくだらない話をして、それが反原発運動へとつながっていく。調布住宅5万人の住人たちは、このカムジャタンのとんこつの匂いにやられたかのように、革命の闘志を燃やすのだ。そしてここが発火点となり、一度は燃えそうになったが消えてしまったアジサイ革命の火が、また燃え上がるのだ。そのためにも僕たちはカムジャタンを煮続けなければならない。くだらない話をし続けなければならない。そして、毎日の苦役よりも自由を楽しみたい若者たち、月に10万しか稼ぎたくない若者たちを、この調布住宅に入居させていかなければならない。

ウィッチンケア第4号「川崎さんとカムジャタン」(P138〜P143)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/25

vol.4寄稿者&作品紹介22 開発チエさん

「村上隆による美術業界批判やら、色々抜け落ちたイシューもありますが、今回はこれまで。」

小誌第4号に「クール・ジャパンの裏側」を寄稿してくれた開発チエさん。現在、ご自身のTwitterのプロフィール欄には「休眠中の美術批評家 2匹のパピヨンと隠遁生活ちう」と記していますが、某SNSでは福井での暮らしぶりとともに、日々のニュースetc.についての鋭いコメントも少なくなく...。それにしても、掲載作内で語られている20世紀末頃あたりの開発さんの日常は、同時代を東京で生きていたはずの私にはまばゆいばかりでして、いったいあのころのオレはどこでなにしてたんだっけ? と思わずHD内を検索...mmm、それなりに社会と繋がった仕事もこなしていたんですが、なんか、クールじゃない生活してたなぁ。エヴァンゲリオンについては、私、「ぱらねも」という草の根BBSを始めるまではまったく知りませんで、そのあまりの世間への疎さに発憤してテレビ東京での深夜再放送をビデオに録画&一気に見て、さらに混迷を深めたという(その自身の面食らいっぷりにさらに奮起して、いわゆるエヴァ本も買ってみたりw)。

じつは開発さん、今回の掲載作品執筆のまえに、もうひとつ「ガチ」なテーマに挑み膨大な調査/検証を...しかしながらそのお原稿(今作にも若干リンクしていた)は、ほぼ完成の段となって「諸般の事情により今回は発表を見合わせることにした」と伺いました。まだ寒かった頃、開発さんと頻繁にメールのやりとりをしまして、そのプロセスでずいぶん苦労されている様子が伝わってきただけに、残念。しかしいまはその「諸般」について立ち入った事柄を私が文字にすることも憚られ...いつの日か諸々がクリアになり、その「ガチ」作品がよりver.アップされ世の中に問われることを祈念致します。...そしてエヴァなんですが、私最初はちょっと綾波レイが気になりましたが、いやいや、こりゃめんどくさいと即撤退。自分は惣流・アスカ・ラングレーが好きです、でいいやと思ったのでした。どのくらい好き? って、まあ、コンビニでアスカのライターを買ったことがあるくらい、ちょっちね。

 楠見さんの友人は、メジャーなアニメ雑誌の編集者とかで(私はアニメ雑誌を開いたこともありません)その時点でのアニメ業界の裏話をう〜んと聞かされました。お話の内容はあまり覚えていないのですが、私が執筆していた、今はなき「スタジオボイス」で「エヴァンゲリオン」特集をやったあとで、その表紙が碇シンジの顔をぶった切ったデザインだったのですが、アニメ編集者の方々は、「あれだけ画像チェックの厳しいガイナックスがよく許したものだ。さすがボイスだ!」と興奮して言っていて。彼らは「もののけ姫」を「退け(のけ)姫」と呼んでいたことだけが印象に残ってます。宮崎駿は当時から若手のアニメーターにはウザい存在だったらしい(笑)。
 しかし、なんで「スタジオボイス」がエヴァ特集を組んだかと言えば、メジャーデビュー当時の東浩紀がやかましく「エヴァ、エヴァ」と叫んでいて、某編集者の自宅で、編集者諸氏が、東が持ってきたテレビ放映版のビデオを一気に見る(1日がかり!)という無謀な集まりを開き、それで「やってみっぺ」となった次第。その号はものすごく売れたらしく。私も興味本位でエヴァの映画に行ってみましたが、観客のほとんどがそのボイスを持ってたのでドン引きしました。このボイスの企画で、東浩紀はまんまと第一のエヴァンゲリオン専門論客となりました。


ウィッチンケア第4号「クール・ジャパンの裏側」(P132〜P137)より引用
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vol.4寄稿者&作品紹介21 大西寿男さん

「トレンチの中は、何もない均一の地面が絵の具を流したように、ただ広がっていた。」

小誌の校正者としてすべての掲載作品に目を通し、的確なアドバスをくださる大西寿男さん。なんと! マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」をゲラで読了したこともあるという(詳しくは「メールマガジン高円寺電子書林」に掲載された夏葉社・島田潤一郎さんとの対談をぜひご一読ください)...。大西さんとタッグを組んで編集/入稿作業をすることで、私は通常業務での「ライターとして書籍制作に関わる」のとは違った認識を、校正という仕事に対して持つようになりました。編集者として書き手と校正者の媒介をする場合は、なんと言うか、ある種の「擦り合わせスキル」が大事、ということをあらためて実感したというか...。ウィッチンケア第4号には30名の書き手が参加しましたが、みなさん筆一本(もはや見事な比喩)で世の中と渡り合っておりまして、そのスタンスは個々、独自なもの。ですので、いわゆる「校正からの疑問出し」でも、マニュアル的なメソッドはありません。

少し話をずらして自身の体験を語れば、通常業務では過去少なくなく「校正さんがこんな赤を入れてきましたが...」といった「鸚鵡返し赤字」を戻されたことがありまして、それで「正しい」文章となって世に送り出されたものも多いわけですが...話をやや戻しますと、編集者としての私が小誌で心がけているのは文章の「正しさ」ではなく、書き手と校正者双方のスタンスに敬意を払い、最後は自分で判断することだと思っています(...これが、けっこう難しいんだ)。でっ、小誌では書き手であり校正者でもある大西さんは、第2号に「『冬の兵士』の肉声を読む」第3号に「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」と毎回チャレンジングな書き下ろしを寄稿してくれていますが、今回はなんと!! ミステリー小説でして、長年構想を温めていた物語を、満を持しての執筆。もちろん誌面掲載したのはまだほんの触りでして、今後どんな展開をしていくのか、またどんな形態で発表されるのか...みなさまどうぞお楽しみに!!!

 チャペルの二階は、小部屋に分かれた書庫になっている。古い文献や写真、図面類に調査日誌などが雑然と棚に収められてある。空調が効いて温度と湿度をコントロールされた書庫は、夏でも肌寒かった。
 保志はほの暗い廊下を小走りに、「203」とプレートの貼られた書庫の扉を開き、照明を点けた。
「あった……」
 記憶のとおりの棚とファイル。ただ問題は、それが保志しか知らない置き場所だったことだ。教授の指示でファイルの整理をしたことを保志はだれにも伝えていなかった。伝える必要があるとはまるで思い至らなかった。
 ファイルを胸に抱いて書庫を出、灯りを落とそうとしたとき、保志はふとだれかが自分を見ているような気がして手を止めた。その頰に引かれた一筋の黒髪ほどの線が静かに赤く色変わりし、いまうっすらと血を滲ませていく――。

             *

 深い闇のなかに開き続けている目があった。
 目は意志だった。夜空に生まれた最初の恒星のように目はそこがもはや無限の闇ではないことを、しるしが与えられた有限の空間であることを、告げていた。
 しかし目はまだだれのものでもなかった。また、だれのものでもあった。意志はどこにでも存在することができた。それはどこにも存在していないことと同じだった。
 意志は待たねばならなかった。


ウィッチンケア第4号「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル」(P122〜P131)より引用
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2013/05/24

vol.4寄稿者&作品紹介20 友田聡さん

「聞いたところによると、商店街の空き店舗にもんじゃ屋を出すことは、宝くじに当たったように成功が約束されるんだそうだ。」

〝暮らしのリズム〟主宰者の友田聡さんは大学時代の音楽仲間で、実家も私鉄で一駅の距離。むかし...渋谷にタワーレコード第1号店がオープンした頃...は、輸入盤のクレジットを見て「おっ、ロベン・フォード! マイク・マイニエリ!! エイブラハム・ラボリエル!!!」なんていう楽しい時代を過ごしたのですが、人間、月日とともに趣味趣向も少しずつ変わったり変わらなかったりでして、私はほとんど変わらぬまま老け込んだりがたがきたりでいまに至っておりますが、友田さんはすっかり風流になったというか(まっ、お人柄は同じなんですが...)、当時の「スタジャン着てバーボン&ビーフジャーキーでファンキーな16ビート」な青年とは異なったライフスタイルを愛でるようになりまして、それは第2、3号への寄稿作「ときどき旧暦な暮らし」「手前味噌にてございます」を読むと、よくわかります。

今回掲載した「東京リトルマンハッタン」は、そんな友田さんが月島に住むことにしたきっかけや、日々の暮らしぶりについて語ったもの。私は去年のいまごろ、通常業務で中央区の都市計画に携わる方々の取材をしていたこともあり、本作で詳しく綴られている月島という町の特性を、感慨深く読みました。町歩き(観光)で訪れて感じることと、住人としての実感は、やはり微妙にずれているんだなぁ、とも。私も月島にいくとなったら、必ず「もんじゃ食べたい!」(ベビースターラーメンはmust、笑)ってなりますわい。...そして個人的な思い出としての月島といえば、私にとってはそのもう少し先、当時の通称「晴海」こと東京国際見本市会場なのでありました。学生時代、とびきりきついアルバイトで連日イベントの立ち会い...かちどき橋を渡ったら私語を慎み、身を粉にして肉体労働に耐えていたものでした。おいしいものなんてちっとも食べず、配られた弁当を15分で胃に納めていたっけ...。

 佃・月島とその先の勝どきは、隅田川対岸にある聖路加病院のおかげで、空襲に見舞われなかった。そのため、今なお細い路地が残り、関東大震災の復興で昭和初期に建てられた木造長屋や家屋をそこここに見ることができる。最初の住処もそんな路地の長屋だった。もちろん内装は今風に施されているが、実に質素でコンパクトである。幅はなんと一間半、二階には畳敷きの四畳半と三畳間、その奥に三畳ほどの板の間の納戸がある。一階はその広さのまま、トイレと風呂場、キッチンとダイニングスペースがあり、まあ夫婦二人で暮らすのにはギリギリの広さだった。路地には長屋と、比較的新しい住宅が混在しており、お節介焼きでなんとなく煙ったがられているけど、どこか頼られてもいる主のような〝姐さん〟(推定七十代半ば)が居る。会えば挨拶はもちろん、時間があれば世間話に耳を貸し、つかず離れずいろいろと面倒をみてもらったものだ。主宰する〝暮らしのリズム〟の落語会『居酒屋寄席』がNHKニュースで取材された際、〝姐さん〟にもカメラとマイクを向けてもらった。照れて部屋に引っ込んでしまっていたが、懇願しやっと出て来てくれた時にはしっかり化粧が整っていたのには笑ったものだ。

ウィッチンケア第4号「東京リトルマンハッタン」(P116〜P121)より引用
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2013/05/22

vol.4寄稿者&作品紹介19 小川たまかさん

「僕は痛みを表に出さずに笑ってる人の方が好きだ。出会って数ヵ月の人間に話せる時点で、それ大したことじゃねえよ。」

今号ではぜひ下北沢をテーマにした作品を掲載したかったのでした。でも、ナフタリン臭ツイード肘あてジャケットが似合いそうな男の町散策エッセイ(たとえば「○○にて●●を食す」みたいな文章を書くタイプ/「○○で●●を食べた」でいいじゃんw)は絶対嫌! と思っていて...できれば物語がよいのかなぁ、と。それも自分とは世代の違う方によるものが(私と同世代では本多劇場すらない時代を語りそう)...って、めちゃくちゃ弛緩した文章はここまで。「シモキタウサギ」を寄稿してくれた小川たまかさんは、下北沢駅北口近くの(株)プレスラボに勤務。「下北沢経済新聞」編集長として多忙な毎日を送っています。同新聞読者の私は、小川さんの他媒体への寄稿記事も何度か読んでいまして、ふと、ふだんとは違うスタイル/スタンスで彼女に下北沢を書いてもらったら面白いのではないか、と...。大正解でした!!

「シモキタウサギ」の主人公の女の子に対して、私は意見したくないです、っていうかいまの世の中で「女の子」とか「女子」になにかモノ申すなんて、想像しただけで鳥肌が立ちます。本作内の「僕」は「女の子なんて誰でも傷つきやすくて、誰でもずるい。」と語っていまして、私も陰から「そうだそうだ!!」とか言いたくなるような状況を体験したこと少なくはない...じゃなかった、「女の子」「女子」はいつでもどこでも絶対圧倒的に正しい。私はつねに応援しています。もちろん、その人が私にとって「女の子」「女子」と認識できる場合に限って(これだけが大事!)。...しかし、それにしてもある種の「女子」による「私の話を聞いてほしーの」は、なんとかならんのか!? 人間関係の悩み、とか散々知らない人の悪口聞かされ、でもそのすぐあとにその仲間同士で互助会のようにしれっと褒め合い続けているSNSとか、もう〜、勝手にしやがれw。

有給休暇というものは、休んだ分に応じて消化されていくもので、君はすでに3週間休んでいるし、これまでもしょっちゅう「具合が悪い」とか「伊勢神宮が私を呼んでいます」という理由で会社を休んでいたから、もう残っていないんだよ。そう説明しても良かったがやめた。スタッフの出勤管理を記録に残していなかったし、彼女が休んでいた分の仕事が山積みで、僕たちはそれを片付けなければならなかった。スタッフのひとりが「あの子、○○さんからアシスタントになれって言われてたらしいです」と明かした。○○さんとは、ある出版社の少し有名でそれと同じぐらい評判の悪い編集者だった。

 下北沢の街から若い女の子がひとりいなくなるのなんて、大したことじゃない。駅前食品市場にあるバーで雇われ店長をしていた女の子だって、一番街商店街の古着店で美人と評判だった子だって、ある日突然いなくなった。彼女たちはみんな思ったんだろう。「私を特別な子だとわかってくれる人はここにはいない」と。
 残された者たちは、彼女たちがいなくなった穴を埋めて平地にする。何にもなかったようにすることで彼女たちにわかってほしいのかもしれない。誰にも帰る家はあるし、誰にも帰る家はないと。君が下北沢にいようと思えば、街は君を受け入れる。決めるのは君であって街じゃないし、ましてや誰かでもない。

ウィッチンケア第4号「シモキタウサギ」(P108〜P115)より引用
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2013/05/21

vol.4寄稿者&作品紹介18 山田慎さん

「音楽同様に多様化し、華々しさのあるブーランジェリーが街を彩る中で、今時珍しく、極めてミニマムスタイルを貫くお店である。」

ウィッチンケアは文芸創作誌と名乗っていまして、実際誌面には小説/評論/エッセイなどの書き下ろし創作文芸が掲載されていますが、しかし各作品のテーマについては特徴というか癖というか偏りというか、みたいなものがありまして...それは発行人の音楽的嗜好が臆面もなく反映されている、という。前号ではPrefab SproutThe Blue Nileという英国グループについての寄稿を「ぜひこの人に!」とお願いしましたが、今号ではレイ ハラカミについて書いてくださる方をWebであちこちあちこち...そして辿り着いたのが、山田慎さん主宰・sweetmusic内の「レイハラカミさんのCD作品まとめと音楽について思うこと」という一文。読み終えてすぐ、ああ、なんとか山田さんと連絡をとらねば、と思いました。

ここ数年、一番好きなレイ ハラカミのアルバムは「暗やみの色 Colors of the Dark」。とくに「sequence_02」という曲が気に入っていまして、私はなんだかこの艶のあるメロディラインに、仄かに乳製品っぽいエロさを感じているかもしれません。それはまるで小麦粉と微妙にマッチングするバターの香り...そう、ペリカンのロールパンのような...って、ちょっと無茶! レイ・ハラカミの音楽とロールパンの関係については、私の与太話ではなく、ぜひ山田さんの作品をお読みください。そして山田さんはsweetmusic内で、今回の寄稿依頼に至る経緯、また小誌のこれまでの歩みについてもまとめてくださっています。それって本来、私がもっとサクサクやらねばいけないことなのに...ほんとうにありがとうございます。さらに山田さんとお知り合いになったことで、私は最近tofubeatsという新しい音楽にも巡り会ったりして...音楽が縁になり世界が拡がるのって、楽しいですね!

 ペリカンのロールパンは小麦粉、砂糖、食塩、バター、イースト、卵、ビタミンCのみを使ったシンプルなパンである。見た目はどっしりと構えているのだが、クラストはロールパン本来の柔らかさがある。掌に触れた表面からは少しだけざらつきを感じ取れる。そのロールパンをゆっくりと噛み締める。丁寧に詰まったクラムを歯で感じ取る。すると小麦の味がしっかりと口に広がり、それがほろっと溶けてゆく。バターの香り、そして静かに広がる甘さ。自然体というか、生活感のある味なのだ。ああ、やはりこれはレイ・ハラカミの音楽とそっくりだと感じた。

 レイ・ハラカミのリミックス・ワークである『あさげ』と『ゆうげ』のジャケットを眺める。それらは家族が食べるご飯たちである。特に飾りっ気はないのだが、なんだか家庭的な味がする。白飯が進みそうなおかずもいい。レイ・ハラカミは豪華絢爛な料理よりも味噌汁のある食事が好きだったんだと思える、印象的なアートワークだ。やはり生活と音が並行している。


ウィッチンケア第4号「レイ・ハラカミの音楽とペリカンのロールパン」(P102〜P107)より引用
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vol.4寄稿者&作品紹介17 木村カナさん

「あの部屋はいつまで空き部屋なんだろうか。ついこの間まではわたしの家だったのに、他の誰かがそのうち住むようになるのだ。」

前号掲載作「パンダはおそろしい」では、積年の大熊猫愛を爆発させた木村カナさん。今号での原稿に関する打ち合わせは昨年秋、西荻窪の木村さん行きつけのビールがおいしいお店でして...その時点では「今度の木村カナは人間について書きます!」みたいな方向性で気持ちよく酔った、という記憶あり...私の引っ越し話はもう出ていたはずですが、木村さんのほうは「引っ越すかも!?」くらいの感じだったかなぁ(曖昧)。でっ、新年を迎え、いよいよ締め切りが近づいてくると、木村さんの転居話は具体的な展開を見せており、けっきょくドタバタのなかで、まさに「人間の揺れる気持ち」を身辺雑記として書き残してもらったような作品となりました。

私は20世紀末から約15年ほど下北沢で暮らし、もう1ヵ月ほどでいよいよ引っ越すのですが、さてそのとき木村さんのように「愛着は変わらないどころかいや増して、夕方の路地を歩きながら、ここがわたしのふるさとです、などと、妙な感傷に陥って」みたいな思いに包まれるのかな? 西荻窪はここ数年で何度か伺いましたが、駅周辺でも古いものと新しいものが上手に共存していて、よい雰囲気の町だなという印象です。いっぽう下北沢はというと...ええとですね、下北沢はここ数年とっても複雑化(かつての原宿に対するウラハラ的発展!?)しておりまして...ってそのへんの話はまた別の機会にとは思いますが、とにかく新しくなった駅から自宅までの南口商店街を歩いて目に入ってくるのは、マクドナルド〜ソフトバンク〜松屋〜ケンタッキー〜ミスド〜日高屋〜ダイソー〜丸亀製麺〜アオキ〜チカラめし〜カラオケの鉄人〜ABCマート〜金のとりから〜センチュリー21...そして餃子の王将と、鮒やザリガニも逃げ出してブラックバスしかいなくなった湖みたいですがな。

 同居人の勤務先の移転、というやむをえない事情によって、西荻を離れなければならなくなった。居候の身の上では、どこに住むかを自分で決めることはできないのだった。家主が引っ越すと言い出したら、ついていくしかない。親の都合で引っ越しをすることになった子どもの気持ちがはじめてわかったような気がした。同じ住所に住み続けていた子どもの頃には、転校していく・転校してくる同級生が、羨ましく感じられたのに。
 西荻にずっと住んでいたかった。でも、1人になってでも居残りたいわけではなくて、やっぱり2人でいたいのだった。それなのに、結婚はしていないし、結婚したいとも思わないのだった。結婚はしたくないのに、もう10年以上も、2人で暮らしているのだった。
 引っ越しが決まってからも、西荻への愛着は変わらないどころかいや増して、夕方の路地を歩きながら、ここがわたしのふるさとです、などと、妙な感傷に陥って、寂しくて、不意に泣き出しそうになったりしていたのだが、そこは生まれ故郷でも何でもなくて、たまたま住みついただけの、本来ならば自分とは何の縁も所縁もない土地なのだった。


ウィッチンケア第4号「わたしのおうちはどこですか」(P096〜P101)より引用
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2013/05/20

vol.4寄稿者&作品紹介16 多田洋一

「こんなときにそういうことになるのは本意ではないしきっとそちらもがっかりだろうが、でも、嗚呼またひとつ面倒なスイッチが!」

おーっ、毎号自分で自分を紹介するのは、そのときどんなコンディションであっても「なんだかね〜」です。寄稿者・多田洋一の新作書き下ろしは第1号「チャイムは誰が」第2号「まぶちさん」第3号「きれいごとで語るのは」に続くものでして、タイトルは「危険な水面」(きけんなみなも、とお読みください)。内容については...今作は事前に1万字近くまで膨れあがっていたラフ書きを、いかに削るか工夫したものとなりました。今回「まだ言葉にしないほうがよい」と判断した諸々は、次作で爆発するのか!? そして「発行人/編集者・多田洋一」と「寄稿者・多田洋一」については、今号でも軸足は後者。寄稿者のおひとりにそのことを説明するさい、私はメールで「編集業務他は長年培ってきたスキルで、原稿書きは魂でやってます」みたいなことを書いたかも。偽りありませぬ。

ウィッチンケアの今後については、今月続けているこの紹介文をコンプリートさせたら一度まとめたいと思います。んでっ、ここでは私のことなんですが...いよいよ過去に書き溜めた書籍数冊分相当の原稿を、なんとかしなければ...。まずは、小誌掲載作だけでなく、私の書いたものをいくつかまとめて読んでくださるかた、いらっしゃいませんか? もしかすると拙作は「新しい自社ビルの資金源」かもしれませんし、あるいは「読むだけ時間の無駄」かもしれませんが...などとつらつら書いているうちに字数は尽き、今作の具体的内容については触れられぬまま、ってそれもなんだか寂しいので、ひとつだけ。海よりでかい湖、あってもいいと思います!

 そろそろ準備をしなければ。ばらばらになった数や音や色で筏を組むように、息苦しさの因を自分にも自分以外の漏らさずすべてにも探さないでそのまま「有り」と捉えるように、物事の長さを主観で測って節目を見定め、人を人とも思わぬ度量で、終ぞ飼い殺せずにいる獣の残余に輝く意味を与え、生殺与奪を刹那の心の揺れに任せてしまえ。
 薄ら日が照らす水面はいまにも溢れ出しそうだ。もうひとつ女の不思議、音信不通というハニートラップ。僕の視界にいまだ海は映らない。でも、湖の氾濫など呑み込んでしまうほどに海が、いますぐにでも大波が押し寄せてくれば……いや、それは無理なのだ。地球は陸地の2・42倍もの面積が塩水で覆われているが、この湖のでかさときたら、それ以上なのだから。
 短くもなく湖の恩恵で暮らしを立ててきた。諸問題はそんな自分自身から発生し、取り返しがつかなくなっている。霞んだ太陽を喰い千切る勢いで跳ねたナイルパーチが新雪のような光を放つ。
 スイッチを入れて一番得をするのは誰だ? 僕が無口になったことで言葉が沈殿し浚渫土に変化し、水面をさらに押し上げているのだとしたら……この厄介さには救いがないと思うし、煩わしさに向き合う気力も湧いてこない。でもね、そんなこと言ってても、ね。


ウィッチンケア第4号「危険な水面」(P090〜P095)より引用
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2013/05/19

vol.4寄稿者&作品紹介15 千木良悠子さん

「うっとりして見守っていると人生は瞬く間に終わってしまう。それが悔しいから、試しに演劇にして目の前に留めてみせる。」

小説家として 「青木一人の下北ジャングル・ブック」 「猫殺しマギー 」を発表、また辛酸なめ子さんとの共著「だれでも一度は、処女だった。 」などもある千木良悠子さん。私は昨年秋「IN THE CITY Vol.6」に掲載された「Composition」という短編小説を読み、千木良さんのことを知りました。なんだか主人公の他者との距離の測り方が印象的な作品で...って、いまこの文章を書くために同誌のHPを確認すると、千木良さんについて以下のような記述...<あの松尾スズキから「歌って踊れる小説家、で、美形」と推される作家にして女優・演出家・劇団主宰・映画監督のストレンジな短篇>...そうだったのか!! いや、実際に今年1月「饗宴」を拝見した後は、まさに多彩な活躍をする方と認識していますが、寄稿依頼した時点ではHPも読んでおらず...ほんと、不躾なお願い事にきちんと対応してくださり、感謝致します!

身体を使った共同作業での表現。千木良さんが寄稿してくれた「SWANNY『饗宴』顚末記」は公演のレポートであるとともに、ものを書くだけではおさまらない「表現への願望」について、パーソナル(でも普遍性も兼ね備えた)思いが語られた作品だと思いました。安い駐車場を探したりお弁当を手配することと、真実の愛を哲学的に追求することは繋がっている...最後のほうの一節「芝居は発展し、さらなる情景を生み出してまた遠くへ過ぎ去ってしまう。繰り返しだ、後生大事に所有しておけるものなど一つもない。けれども、その運動を通して、皮膜の下の美しい風景のことを私たちは知っていく。」はとても印象的でした。

※そして、じつは今月10日(金曜日)の夜、下北沢の書店B&Bにて『饗宴』のイベントが開催されました。当初はもちろん末席から参加予定でしたが、諸般の事情で私が「空白の2日間」をつくってしまい、千木良さん、書店担当者様には最小限の連絡しかできないままドタキャンしたこと、あらためてお詫び申し上げます。

 ありがたいような、狐につままれたような気持ちで、役者探し。前回公演に出演してくれたたにぐちいくこさん、寺田未来さん、安元遊香さんのほか、これまた畑仲間のダンサー坂田有妃子さん、ご近所住まいの女優の志甫真弓子さん等々、ひと夏の間にラインナップが決まっていった。男性陣はまず、私が週末にアルバイトしているゴールデン街のバー「ダーリン」の常連の映画俳優、川瀬陽太さんに出演交渉。バンドメンバーのジム・オルークさんと仕事してみたかったという理由もあって、快諾してくれた。加えて漫画家でありながら俳優経験も豊富な河井克夫さん、映画やCMなどで活躍中の俳優、阿部翔平さんにも出演依頼。河井さんは私が2012年の2月に上演したお笑いコントを気に入ってくれたようで、忙しいスケジュールの合間を見て稽古に参加しても良いならとのこと。阿部さんは私が2012年夏に脚本に関わったテレビ番組内のショートアニメ「ひみつのアッコちゃん」で声優をしてもらったご縁だった。
 キャスト・スタッフが決まり出したら、次はチラシ制作。知人のスタイリスト岡崎イクコさんのアイディアで「フルーツの女体盛り」をやることに。これまたバー「ダーリン」の常連である、映画監督の杉田協士さんに「爽やかな女体盛りの写真を撮ってもらえませんか」とお願いすると、「女体盛りなんて柄じゃないけど、爽やかなのなら……」と乗り気に。モデルは出演女優の志甫真弓子さんにしたいと言うと、なんと二人は十年以上昔によく演劇や映画の撮影を一緒にしていた遊び仲間だったそうで、スムーズにことが運んだ。


ウィッチンケア第4号「SWANNY『饗宴』顚末記」(P082〜P089)より引用
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vol.4寄稿者&作品紹介14 辻本力さん

「しかし、『おせちはやはりツマミであった』と、三十歳を過ぎた頃から考えをあらたにした。」

ウィッチンケア第4号に「酒のツマミとしての音楽考」を寄稿してくれた「生活考察」主宰者・辻本力さん。同誌と小誌は、創刊日が2010年4月1日と一緒(昨年は西荻BMさんのご厚意でイベントも開催)。といっても、創刊号からすでにスタイルを確立していた「生活考察」に比べると、小誌は「歩きながら考える」というか「いきあたりばったり」というか。とにかく、<「生活」の面白さを前面に出したインディペンデント・マガジンの魅力を探る──(後略)>という辻本さんのインタビューを読むと、前キャリアから継続して自身の中に揺るがぬ「つくりたい本」があったのだとわかります。最新号(Vol.04)でもまったくぶれず、コンテンツはさらに深化。ほんとうにすごいと思います。今後は「生活系編集者」と名乗る辻本さんの活躍分野が、どのように広がっていくのかも楽しみ!

さて、私は書き手・辻本力さんの作品を読むことも長らく好きなのでした。「ああ、けっきょく発行人のこのような思考回路にシンクロした人がエッセイを寄稿するのか」と思えるほど、「“ある種の”ライフスタイルマガジン」という、「生活考察」に冠されたよくわからない惹句(失礼/褒め言葉!)を実感できる内容だからです。...そして、好きな書き手にはまず寄稿依頼する私は辻本さんに書き下ろしをお願いしまして、いかにも「生活考察」さんらしい新作が掲載できたこと嬉しい限りです。ある意味でセッションというかアウエイというか、辻本さん、自分の雑誌でよりはリラックスして書いてくださったのでしょうか? 「おせちは持久戦向きのツマミ」と開眼するに至るあたりの、なぜそこまで考察したいのか、という畳み掛けるような展開(私にとってツボ!)...それが良い方向に出て新たな読者が辻本さんや「生活考察」に興味を持つきっかけとなれば、発行人として本望です!

 ドゥーム・メタルというのは、ヘヴィメタルにおけるサブジャンルのひとつで、doomという単語が「終末」「破滅」を意味することからも想像がつくように、極めて暗い音楽だ。まあ、このジャンルのなかにもさまざまなスタイルがあるため、一括りにするのは難しいのだが、ざっくりといえば、「暗い」だけでなく、「極端に遅い」「極端に重い」という特徴が挙げられる。場合によっては、アーティストやそのアルバムにもよるが、さらに一曲一曲が「長い」という要素も加わる。暗い・遅い・重い・なんだか長い……これが人間だったら、積極的に友達になりたいタイプではないだろう。しかし、酒の友としてはなかなか付き合えるヤツなのだ。ここ半年ほど頻繁にドゥーム・メタルとの酒の席をもったことで確信した。
 ドゥーム氏との飲みは、仕事帰りに立ち飲み屋で一杯、みたいなものにはならない。腰を据えて、本格的に飲むことになる。長っ尻になる。そのへんは覚悟して臨まなければならない。酒も強いものが望ましい。ビールをチェイサーにウィスキーくらいはいきたい。そして、向こうのペースで、ズブズブと沈み込むように飲むのである。
 ちなみに、ドゥーム氏には、とにかく同じ話を繰り返す、という酔っ払いの典型みたいな酒癖がある。その傾向は、スリープというバンドの『Dopesmoker』というアルバムを聴くとよく分かる。収録曲は一曲のみ、驚異の六十三分一本勝負。しかも全編にわたって同じようなリフが延々繰り返され(歌詞はハッパがらみ)、いつ終わるとも知れない。


ウィッチンケア第4号「酒のツマミとしての音楽考」(P076〜P081)より引用
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2013/05/16

vol.4寄稿者&作品紹介13 かとうちあきさん

「恋愛がもっとも盛り上がっている、あとから振り返るとほんの僅かな期間しか存在しない、そんな時期のひととき。」

野宿野郎」編集長(仮)なのでアウトドアなイメージの強いかとうちあきさんですがTwitter、小誌への寄稿作品ではなぜかおうちネタ度が、高し。そして第3号掲載「台所まわりのこと」では、人より不気味な生命体の気配がむんむんでしたが、今回はのっけから人間登場! でもこの人も、なんだか蝉やウスバカゲロウのような、儚い生命体的な描写をされていまして...それにしても、冒頭(↑)の文章、どれだけ短い時間を示しているでしょうか? 「ほんの僅かな期間しか存在しない」時期のうちの、さらに「ひととき」ですから! しかも語られたエピソードは、その「ひととき」における「ひとこと」のすれ違い...切ないなぁ。

タイトルにもなったコンロという器具は前回寄稿作でも言及されていまして、「わたし」にとってはやっかいなものでありつつ、でもある種の聖域というか縄張りというか。...どうなんだろう、本棚や引き出しの中がカオス状態だからって、親しくなりかけてる人がいきなりアイウエオ順とかジャンル別に本や名刺を片付け始めたら、少なくとも20代の私は、絶対に嫌だったろうと思います(その後はいろいろ心境の変遷がありまして...まっ、いまでも自分の身につけるものはほぼ自分で買うような性格ですが)、って私の話はどうでもよくて大事なのはかとうさんの「わたし」でして、「コンロをすすんで掃除してくれるようなひとは、めったにいないらしい」...いやいや、きっとこれは気の持ちようだと思ったりもしまして、あっ、でもこの続きは、今度ぜひお会いしたときにでも!

 わたしがどうも喜んでいる風でないのを察して、その男は謝った。
 それから少し考えたのち、
「ごめん、勝手に掃除されたらいやだね」
 と、さらに謝るのであった。ああ、とてもいいひとだ。
「びっくりしただけ。うれしいよ」
 慌てて云ったのだけれど、しまったな。
 相手が素直に反省し、すっかり意気消沈しているようにかんじられたからだ。
 わたしは後悔した。
「やっちまった! これで金輪際、このひとは自らすすんで、わたしのコンロを磨いてくれることはないだろう」
 ただひたすら、己の利益損失に気がついて後悔した。
 よかれとおもってやってくれたそのひとの気持ちに対してすまなかった、とか、そういうことじゃないの。
「ああ、勿体ないことした!」
 そういうことなの。


ウィッチンケア第4号「コンロ」(P070〜P075)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

vol.4寄稿者&作品紹介12 武田徹さん

「寿命が近く尽きることを知ると世界が変わって見える。それは知識がその人を変えてしまったからだ、と。」

小誌第2号では「詩という表現」についての実践と考察、第3号では楽器演奏者でもある自身と前衛音楽の関係、とつねに身を切るようなテーマの書き下ろし作品を寄稿してくれる武田徹さん。昨年初冬に「次号でも、ぜひ」ということになり、私は「今度はどんなテーマだろう」と、年内にでも具体的な作品の方向性を教えていただけることを楽しみにしながら、長く愛読してきた武田さん主宰の「オンライン日記」、昨年最後の書き込み(2012年12月25日)をほぼリアルタイムで読んでいました。「何もしないのももったいないのでクリスマスイブは少しだけ夜のドライブをした」「原稿養成ギブスつけて原稿千本執筆ノックみたいなことをしておくべきなのだろう」と、いつもと変わらない武田さんらしい文章...しかし、更新した翌日にお父様が永逝なさったのですね。喪中の知らせが大晦日に届きました。...今年になってもしばらくは寄稿に関する連絡を控えていました。締め切りから逆算していよいよ、という段になり、短いメールでのやりとり。「いま書いておきたいことを」といった主旨の返信をいただき、今号に「木蓮の花」を掲載することとなりました。

私の父親は2000年9月の朝、家の玄関で突然倒れてそのまま。午後、実家のある町田市の病院に駆けつけたときには生きていましたが、mmm、それは私が到着するのを待って「スイッチを切っていいかどうか確認する」みたいな「生きている」でして...。でっ、そのときものすごくリアルに感じたことは「病院は生きている人」のための場所だってこと。スイッチ切っちゃうと、相談されるんですよ。「でっ、この先どうなさいますか」って。死を以て「次のシステム」に移行しないといけないんです(一般的には葬儀社とかに)。私の父親は生前に献体の契約をしていたので、自宅に戻ることもなく、某大学病院へと...。まともな葬式を執り行えなかった長男(私)は、後日親戚との折衝に苦労...そんな体験のある私は武田さんの作品内に出てきた「死は生者を突き放す」という一節に特別な感慨を持ちました。

 実は一度目の入院から家に帰った後、延命治療拒否の意思はまだ継続しているのか、体調が良くなったら父に直接確認しておこうと思いつつ、ついに果たせなかったことを後悔する。生きていれば幾らでもやり直しが利くが、いかに後悔しようと死にやり直しはない。予行演習もできず、やり直しもない正真正銘の一度きりの経験として、死は生者を突き放す。仕事柄、尊厳死や、死に関する自己決定について何度も書いてきたが、そのことを改めて思い知らされた経験だった。

 メモリーの中は殆どの写真が母と一緒に行った場所での記念写真で、とことんまでフィルムの「無駄撃ち」をしない昔気質の人だったのだなと思ったが、その中にほんの僅かに花の写真がある。


ウィッチンケア第4号「木蓮の花」(P066〜P069)より引用
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2013/05/15

vol.4寄稿者&作品紹介11 小田島久恵さん

「チェーンのように永遠に繋がれてきた遺伝子の輪の、最後の切れ端にいる自分の寄る辺なさを、ふと思ったりする。」

つねに八面六臂の活躍がまばゆい小田島久恵さん。GW前には突然キース・エマーソンと小田島さんのツーショット写真がネット上にアップされ(...昨年の大河ドラマの影響で吉松隆氏に注目が集まったからとは思いますが)、中学生の頃にNHKEL&Pライヴを接続コードでダビングしたような人間にとっては、あまりにびっくりな写真でした! そんな小田島さんは、元旦に実家で「おごそかな書類」(巻物です!)を発見、見知らぬ自分...というか「遺伝子の輪の、最後の切れ端にいる自分」と対峙したという、なんだろう、一時期流行った「自分探し」とは似たようでまるで異なる「自己再認識」についての顛末を、「私のファミリー・ヒストリー」と題した作品として寄稿してくれました。著書「オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ 」やウィッチンケア第3号掲載作「スピリチュアル元年」ともどこかで繋がる、時空を俯瞰したクールな視点が印象的です。

そういえば、私の父方の古い家にも、家系図みたいなものがあり若い頃にちらりと見ましたが、たしか四代前まで辿ると新潟県N市あたりに墓があるらしく、「捨蔵さん」という人が一家を一度破産させたとか...満州国皇族と一緒に描かれた先祖の掛け軸もあったりしたが...なんでも鑑定団に出したらきっとボロボロだろうな〜。さらに話を脱線させると、私が歴史の教科書だか参考書だかを読んでいて、初めて同姓の人物にシンパシーを持ったのは中学生の頃、多田行綱。チクリ魔として歴史に名を残しているところが、なんかねぇ(タルカスもとい大河「平清盛」では野仲イサオが演じていました)。話を小田島さんの作品に戻しまして、同作内で筆者は巻物に記された事柄を「どんな創作より胸を深くえぐるすさまじいもの」と表現しています。また、生物的本能をまっとうしてきたご先祖さまに思いを馳せることで、自身がずっと抱える「泥のような厭世観」については口を噤む慎ましさに、私はぐっときてしまいました!

 私の母は2010年に日帰りで東京から長野へ出向き、善光寺参りをしたが、目的はこの倉松の霊を彼の没した地で弔うためだったという。
 倉松の息子、彦右衛門はペリー来航の頃に養蚕業で財を成そうとした田舎のハイカラ起業家。岩手・川井村から東京まで馬車を何往復もさせて、蚕を運び、その道中に福島の飯坂温泉の芸者との間に私生児をもうけた。典型的な遊び人である。その子供はのちに名僧になったという。養蚕工場は一時期、村の農民の多くを雇用するまでに拡大したが、いい時期は続かず、やがて衰退。五代目彦衛門は莫大な借金を残して40代で亡くなった。
 お調子者の色男・彦衛門の正妻は女傑で、読み書きが出来たため岩手の田舎で寺子屋を営んでいた。とても厳しい、厳格な女教師であったとか。彦衛門の血を継いだ長男は早くに亡くなり、次男の政司郎(まさじろう)は北海道に渡り重労働に従事し、過労のため夭逝。そして三男の友治郎(ともじろう)は、川井村に暮らす妻子を一度に亡くす不幸に見舞われた。

ウィッチンケア第4号「私のファミリー・ヒストリー」(P062〜P065)より引用

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2013/05/14

vol.4寄稿者&作品紹介10 出門みずよ×中野純さん

「そう。衣を脱がす。舟でここへ渡ってくる人々のうち、所定の金額を持ち合わせない相手には、ソトオリはひとり残らずそうしてきた。」

んっ、なんだなんだ!? この一文だけ読むと、ソトオリっていったいどんな生業の人? と淫らな想像をする方も...って、それは私ですが。いまなら怪しい芸能プロダクション社長、江戸時代なら判人とか...そもそもソトオリさんって苗字? 性別年齢は?? ...いやいや、物語に「現実のものさし」を持ち込むのは野暮ですね。出門みずよさんと中野純さんの共作「天の蛇腹(部分)」は、読み手が空想力を自由に広げて楽しむ作品なのだと思います。私がここでするべきは、まずは作者紹介だな。出門みずよさんにはイタクラヨシコさん名義での小説「ダメじゃん、蟹江クン! 」や板倉克子さんとしての訳書『もし大作曲家と友だちになれたら…』等があります。そして中野純さんは最新刊「闇と暮らす。: 夜を知り、闇と親しむ」の他著書多数。小誌第2号3号でも単独名義での寄稿者です。

...もう少しだけ内容に踏み込みましょうか。この物語が中野純さんの「庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか」と関連性があることは、同書を読んだ方ならすぐにピンときたはず...芸プロ関係者じゃないんです、奪衣婆なんです、ソトオリさん。また中野さんのこれまでのTwitterには「羽衣天女と衣通姫と脱衣婆(奪衣婆)、三衣一体の物語」「出門みずよさんと共作していたシュトゥルム・ウント・ドラング(イメージ)な巨人小説の断片が、一昨日完成。地獄の三巨人の大き過ぎる三角関係。奪衣婆対三途の川、最後の死闘。奪衣婆のクルクル前髪の謎が今! って感じかな。違うかな」といったつぶやきも。

※でっ、じつはこの文章を書いている最中に、私自身も疾風怒濤なリアルライフに巻き込まれまして数日間PCを起動できず...いまは八王子の景色のよい部屋からこの紹介文をアップしています。まっ、このことは作品紹介コンプリートした後にでも...。

 ヤマには内緒で、タカムラとの褥にも使ったその衣類。ここへやってくる人々からソトオリが奪ったものだ。
 ソトオリは蛙のように四つん這いになって川辺に近寄り、川面に顔をつけて、水を飲みはじめた。
 思ったより冷たくない。渇きに渇いたのどには甘く感じられた。地上にいたころに飲んだどんな水よりもうまいかもしれない。
 だがしだいに体が重くなってきた。
 不思議なもので、目を開けたまま水を飲みつづけるのは不可能だった。息継ぎをするときだけ、目を開く。まぶたを閉じていると、いろいろなことを思い出した。
 天から降りて、地上で琵琶法師のウメマルと暮らしていたころ、酒を覚え、生まれて初めて飲み過ぎた翌日に、大量の水を無理やり飲まされたことを思い出す。あれは苦しかった。ウメマルは、「わたしも酒なら半升飲めるがな。水は重い」と瓶から柄杓で水を汲み、飲ませてくれた。
 そう。水は重い。
 わたしには地上の思い出のほうがずっと多い。ソトオリはしみじみとそう思った。水も、人の体もずっしりと重い地上。鼠径部ぎりぎりまで水でふくれた腹をときおり自分でなでさすりながら、ソトオリは地上をなつかしんだ。


ウィッチンケア第4号「天の蛇腹(部分)」(P056〜P061)より引用
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2013/05/09

vol.4寄稿者&作品紹介09 江口研一さん

「少なくとも、時代のアイコンは僕らに勇気を与えてくれる。」

ベロニカは死ぬことにした」(パウロ・コエーリョ)の翻訳、『ブコウスキー:オールドパンク』の字幕など、海外の文学/映画に造詣の深い江口研一さん。私は「DU2」に掲載されていた「好きな音楽がタイトルになる時」という作品を読み、そのなんとも「洋楽っぽい」文章に惹かれて、一度お会いしていただけませんかと、連絡を差し上げたのでした。同作品はダグラス・クープランドの未訳小説「GIRLFRIEND IN A COMA」(ザ・スミスの曲と同名)を題材に、音楽と小説について書かれたもの。...いや、このへんを語りはじめると一気に字数が尽きてしまいますので、みなさまぜひ「DU2」を入手してください。「音楽好きな作家は数多いるのに、直接的に音楽を引用している例は意外と少ない」(「好きな音楽が〜」より引用)理由についての、興味深い考察です。また、江口さんは世界の料理にも精通していまして、「food + things」と冠されたブログを拝見すると、おいしそうなものばかり! ぜひいつか、江口さんの料理を食べてみたいです。

小誌掲載作「僕はトゥーム・ツーリスト」は、最近の流行り言葉で似たものを探すと、「墓マイラー」なのかな。いやぁ、私は世間に疎いのでほんとうにそんな趣味をお持ちの方とは会ったこともありませんが、江口さんも作品内で「それでも僕には墓をめぐる趣味はない。青山霊園や谷中の墓地は散策にいいが、むやみやたらに人の墓前に立つのも失礼な気がする」と書いていまして、その気持ちは共感できます。しかし、にもかかわらず、江口さんは故人に引き寄せられるように、チャールズ・ブコウスキーやエリック・ホッファーの足跡を辿る旅に...(詳しくはぜひ本編で/こればっかりですいません)。あっ、私も「足跡を巡る旅」みたいなのはけっこう好きですよ。架空の人物と実在の場所を結びつけて、ひとり悦に浸るだけなんですが、たとえば「マンモス西のうどん(泪橋)」「ミサトさんのNERV(箱根)」「キャシーとターンパイク(ニュー・ジャージー)」みたいな。

 何よりも興味深かったのが現在はオークランドに移動した港湾機能の仕事の割り振り(ディスパッチ)だった。それは一日二回の朝と夕に行われ、組合員はその日の仕事にありつくために、特殊技能を持っているか持っていないかに分かれて並んだ。若い労働者のほとんどがホッファーを知らなかったが、一番の古株のおじいさんは一緒に仕事したこともあったと話してくれた。組合は今では西海岸全体からアラスカ、ハワイまで影響力があり、全ての仕事を管理している。許可が煩雑なため、その後はオークランドの埠頭で働く組合員の姿を望遠レンズで〝撮り〟、生涯独身で通したホッファーの遺品が寄贈されたスタンフォード大学内のフーバー・インスティテュートのアーカイブに入れてもらえた。小さな文字でみっちり書き込まれた手書きのノートや眼鏡などの貴重な遺品が揃っていた。そして日本への帰国前、僕は彼が眠るコルマのホーリー・クロス・カトリック・セメタリーを訪ねた。受付で地図をもらい、6587944番を探す。見当はついているのになかなか見つからない。そしてようやく見つけた赤い墓石のERIC HOFFER という字は芝屑で埋まっていた。ホワイトハウスまで呼ばれながらアウトサイダーであり続けた時代の哲学者の墓はほとんど誰も訪れることはなく、どんよりと重い曇り空の下で静かに眠っていた。

ウィッチンケア第4号「僕はトゥーム・ツーリスト」(P050〜P055)より引用
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2013/05/08

vol.4寄稿者&作品紹介08 林海象さん

「数多い足穂作品のなかでも、映像化するともっとも手強いだろうと感じていた。」

稲垣足穂の「彌勒」を映画にしたい。私はこの構想を、2003年9月に林海象監督から直接伺いました。月刊誌の仕事で大阪の庭園鉄道、京都の鞍馬山、同市内のとある廃屋等を同行取材したのですが、私の記憶が間違っていなければ、その時点ですでに「来年には公開したい」と...。そのくらい具体的な話で語れるほどに、監督の頭の中では“絵が描けていた”のだと思います。しかし監督は同時に、実際の映画制作については「いままでとはちがう方法を見つけなければいけない」「あせらず、探るように撮っていくしかない」とも。その真摯な表情から、映画の門外漢である私にも「新しいこと」に挑戦する表現者の緊張感が伝わってきました。そして月日は流れ昨年夏、ネット上で<謎の映画「彌勒 MIROKU」(現在は新世紀映画「彌勒 MIROKU」)>が制作中/2013年公開と知りました。10年という歳月がなぜ必要だったのかは不明でしたが(その事情については小誌掲載作でぜひ!)、ああ、林海象さんは「やると言ったことはやる」人だな、と震えるくらい感動しました。

「彌勒 MIROKU」は今年7月、現在の林監督の活動拠点・京都でまず公開され、その後全国の「観客のいる場所」に届けられる、とのこと。「彌勒 MIROKU 公式サイト」を見るとこの作品の特徴がよくわかります。たとえば90人のメイン制作スタッフは、京都造形芸術大学・映画学科の学生であること。映画は2部構成で、「第一部 少年編」では映画学科の女優たちが夢みる少年役を、「第二部 青年編」では永瀬正敏、井浦新、佐野史郎などおなじみの俳優が、夢のなれの果ての登場人物たちを演じていることetc.。「私立探偵 濱マイク」以来17年ぶりの林海象/永瀬正敏作品だというのも、映画ファンにはたまらないですね! 詳しくはぜひ http://0369.jp/ を隅から隅まで!! そして林海象さん、めちゃめちゃ多忙ななか、Facebookでの寄稿依頼を快諾してくださり、ありがとうございました。小誌掲載作品が「彌勒 MIROKU」のPRに少しでも役立てれば、発行人として本望です!

「彌勒」は難解な作品だが、私は稲垣足穂の自伝として読み深い感銘を受けた。極貧で数々のアルバイトに明け暮れていた二十代の私は、社会の厳しさと対峙し、真っ暗闇のなかでもがいていた。そんな自分と「彌勒」の主人公・江美留が重なった。
 足穂の凄さは、有言実行を生涯貫いたことだと思う。同時代の作家の多くは「心は昔のまま」と言いながらも、最終的には大きな家を持ち、「先生」と呼ばれて偉くなった。最後まで何も持たず、浴衣一枚で自身の信じる生き方を実践したのは足穂だけで、それは「自分の作品に責任を持った作家」だということだ。
 初めてこの作品を読んだ十代後半の私は、こんな大人がいることに驚き尊敬した。その頃の私には大人というものが、もっと嘘つきで汚いものに思えていたのだ。多感な時期に足穂と出逢えて良かったと、今でも思っている。
 十二年前、四十代になっていた私は「今なら『彌勒』を撮れるかもしれない」と、機が熟したような気持ちになった。すぐに脚本を書き始め、完成後許可を得るために、稲垣都という女性にラブレターのような手紙を書いた。都さんは稲垣足穂の唯一の肉親。実子のいない足穂が五十歳にして初めて結婚した、志代婦人のお嬢様だ。


ウィッチンケア第4号「『彌勒 MIROKU』誕生秘話」(P046〜P049)より引用
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2013/05/07

vol.4寄稿者&作品紹介07 我妻俊樹さん

「視線を上げれば、郵便局の形に並んだ星が速達を届けようと輝いている。」

昨年2月に「実話怪談覚書 忌之刻」、8月にも「実話怪談覚書 有毒花」と、新しい本を立て続けに出した我妻俊樹さん。と書くと、作家活動が勢いづいているみたいですが、私的にはどうも我妻さんと「勢い」という言葉が脳内でしっくり馴染まず...現象としてはたしかにそうなのでしょうが、しかし私の知る限り、我妻さんはむかしからずっとマイペースで創作を続けてきた人なのでありまして...まあ、とにもかくにも作品がどんどん世の中にばらまかれることは、素晴らしい! そして、そんな我妻さんは個人アカウントではすっかり「ツイートしない人」になってしまいまして...どんな心境の変化なのだろう? あっ、でも歌人でもある我妻さんの短歌botは定期的に詠んでいたりして、それがまた、らしかったり。

寄稿作「裸足の愛」は、上記2冊に収められた作品群とはやや違った方向性で書かれた物語だと受け止めました(「雨傘は雨の生徒」「腐葉土の底」「たたずんだり」と併せて、そろそろ1冊の本として読んでみたし!)。本作の主人公「あたし」の隣人は「髪型のおもしろい男」でして、この男の髪型についての筆者の創作欲は「針、マックスまで振れてます!」という感じでして、なにしろ全部で6ページのうちの約2ページ(P41〜42)は、ほぼその髪型にまつわる描写&考察なのでして(たとえば「何度見ても本当にこの世にそれがただひとつ実現していることが悪い夢だとしか思えない頭部の状況」etc.)、そして怖ろしいことに、それだけの文字数が費やされているにもかかわらず、読者には「では、その男の髪型はどんなものか」というビジュアルがちっとも思い浮かんでこないという...まさに文字でしか描くことのできない「おもしろい髪型」なのでした。我妻さんが今後、このような表現で「悲しいセックス」や「愉快な暴力」なんかを描いたら、いったいどんなものになることやら。

 この認識はあたしの心を理由もなくかき乱し、放たれた豚が頭にナイフの刺さったまま胸の中で暴れているといったふぜいだった。一週間ほど、この豚に荒らされ続けた精神からふたたびあたしの意志の柱がせり上がると、鏡の中に白眼をむいた若い女の首が浮かんでいる。両眼がぴかぴか交互に光って、電灯の影の位置を変えた。少しずつだった。壁のむこうから独り言で人生の光と影について語る声がきこえてきた。あたしにはそのときけだるく揺れたりほどけたりしている髪型が手に取るようにわかったのだ。人生が語られているときでも、髪型は人生ではなく髪型そのものについて語っているのである。むしろそれ以外はいっさい口にしないと言っていい。その下で顔はめまぐるしく表情を変え、手足をばたつかせた人形のように世の中を渡っていく。ずっと雨が降っている横断歩道で大きな蛙が半分に潰れているのをあたしは感じる。三日も何も食べていない老女が通りかかり、そっと地面に迷いの手を伸ばすだろう。

ウィッチンケア第4号「裸足の愛」(P040〜P045)より引用

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2013/05/06

vol.4寄稿者&作品紹介06 仲俣暁生さん

「烏水は芸術に対してはディレッタントの立場を貫き通した。」

文筆家/編集者として活躍する仲俣暁生さん。小誌では前号に続き自身が長らく抱えていたテーマを掘り下げた評論を寄稿してくれました。「国破れて」と題された作品は、昭和33年創刊の山岳誌「アルプ」、および同誌に近藤信行による評伝が連載された小島烏水を論じつつ、高度経済成長期から現在に至る「登山の商業化、大衆化」を独自の視点で考察したもの。作品冒頭で「登山はおろかアウトドア全般に興味のない私」「山岳書はもっとも縁遠い本のジャンルのひとつ」と表明する仲俣さんが、膨大な文献を読み込みながら登山、そして日本の風景にどんな感慨を持つに至ったのか。個人的には仲俣さんの近著「再起動せよと雑誌はいう」の読後感にも通じる、興味対象と自己(や存する社会)の来し方行く末を合わせ鏡にして思索を膨らませる語り口に、スリルを感じました(ぜひ本編をお読みください)!

本作に「ディレッタント」という言葉が2度登場したことは印象的。マイMacの辞書は「【(英)・(フランス)dilettante】芸術や学問を趣味として愛好する人。好事家(こうずか)。」と説明していますが、仲俣さんはたぶんこの言葉をたんなる「好事家」として肯定的には選んでおらず、それは「小島烏水という人自身が、文学史のなかではどうも収まりが悪いのだ。」という一節からも伝わってくるのですが、しかし仲俣さんは同時に「ディレッタントの立場」「ディレッタント的な存在」にはシンパシーすら持っているようでもあり...ううっ、長くなりそうなので、ここではこのへんで...。そして、最後に極私的蛇足。やはり本作に登場した「ヴェール・ドー」という言葉。どんな色なのか辞書で調べてもピンとこず、こういうときにインターネットは便利。「フランスの伝統色」というすてきなサイトを発見し、そればかりか「新しい部屋のドア、ペンキはこんな感じの色!」と勝手に決めたりしたのでしたw。

 誤解を恐れずにいえば、「アルプ」は山の文芸誌だった。池内はそれを「アルプ王国」と呼び、「同じ体質の者の集まり」には「独特のくさみ」 があったことも言い忘れていない。もともと山に関心のない私としては、そうした雑誌のありかた自体が興味深かったし、アンソロジーの執筆者に辻まことや野尻抱影といった、多少なりと関心のある書き手の名をみつければ嬉しかった。
 ただ池内の言うとおり、「アルプ」という雑誌のスタイルには強い魅力を感じながらも、同時にこのアンソロジーに収録された文章に対しては、全体としてなんともいえない距離感を抱いた。山について書かれた文章はなぜ、かくも文学的なのか。いつから日本人にとって山は「文学的」な場所になったのか。いや、もっと正直に言おう。なぜ、自分はここに書かれた文章に、さほど心を動かされないのか。その理由を知りたいという思いが、いつとはなしに自分のなかで膨らんでいた。

 父方が信州の出身であるせいか、海よりは山のほうが肌が合う。子供の頃から、家族旅行ではよく山あいの地方に連れて行かれた。ただし父祖の地を実際に訪れたことはなく、父が亡くなった際に祖父の戸籍謄本を取り寄せるまで、在所の所番地さえ知らなかった。
 それでも自分は山のある地方の人間だという感覚がどこかにあり、山の雑誌について小文を書いたことで、意識下にあったそれが発動したに違いない。山岳書や山の雑誌への関心は、書物史や出版史あるいは文学史上の関心にとどまらず、自分のルーツ探しともゆるやかにつながっていた。


ウィッチンケア第4号「国破れて」(P034〜P039)より引用
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2013/05/05

vol.4寄稿者&作品紹介05 五所純子さん

「思い出すのは、舐めたくなるほど滑らかな白い陶器にあなたが鮮血を迸らせた時のことだ。」

五所純子さんの文章を初めて読んだのは、一昨年の初夏だったと思います。「ツンベルギアの揮発する夜」と冠されたそのブログは、日めくりのレイアウトで<MEMO>欄には手書き文字、それも思いつきを急いで書き留めたような...つまりネット上にテキストデータではなく画像での文章をアップしていたのです。その後すぐに「ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編」を入手して水越真紀さん、田中宗一郎さん、野田努さんとの座談やエッセイを読み、さらに数日後には新宿の模索舎に電話して在庫取り置き、「スカトロジー・フルーツ」も無事ゲット。なんだか新しい音楽家と出会ったさい、それまで発表された音源を一気に聞いてみたくなるのと同じような衝動で、日頃のんびりしている私は五所さんの世界にドドド、ドッと惹き込まれたのでした。

「血便鏡」の原稿は、メールの添付書類で受け取りました。横書きレイアウトのテキストデータだったのですが、しかし、書類を開いて読み終えたときの第一印象が忘れられません。「まるでペンで刻んだ文字の塊のようです」と、拝受の御礼メールに私は率直な気持ちを記しました。...これは重たいとか堅いとか、ましてや「改行が少なくてぱっと見が黒い」とかいう意味では全然なくて、なんというか、白い紙(not 原稿用紙)にカブラペン(not 万年筆)で書いたような「いまここでしか記録できなかったもの」を作者からお預かりしてしまった、みたいな緊張感があったからだと思います。そして、そんな印象を私に残した作品の一部を当ブログに引用することはとてもしんどい。ほんと、みなさまぜひ、ひと塊で(つまり小誌を手にとって)お読みください...と、立ち去るわけにもいかず、それでは、個人的にとても好きな一節(どこかは秘密!)を含む箇所を。

あなたには毎日会えるわけではなかったけれど、あなたの到来にはいつも前兆があって、痒いような痛いような、弛みきるような張りつめるような、くすぐったいようなもどかしいような、ふっと湧いた不思議の種みたいな刺激を体の内側から感じた。その知らせを受け取ると、私は小さな部屋にそっと駆け込んであなたを待った。あなたの到来はいちいち劇的で、ビッグバンとか原子爆弾とかダムの決壊とかミミズの行進とかマジカルバナナとかいろいろ思い浮かぶけれども、どんな言葉がもっともあなたにふさわしいだろう。私はずっとあなたに名前をあたえることを忘れていた。あるいは、名前をあたえないことであなたに飽き足りるのを先延ばしにしてきたのかもしれない。幼い私は世界について少しずつ覚えていっていた。食物の噛み方、星の数え方、数の数え方、色の描き方、敵への吠え方、ひとつひとつ覚えていくたびに世界が陳腐なものになっていく気がしたのかもしれない。

ウィッチンケア第4号「血便鏡」(P030〜P033)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/04

vol.4寄稿者&作品紹介04 堀井憲一郎さん

「机の上にね、殴り書きがあって、もうだめだ、と書いてあったね」

コラムニストの堀井憲一郎さんは小誌第4号に短編小説を寄稿してくれました。「花火」という題名の、ご自身が長く生活している高田馬場近辺を舞台とした物語。殴り書きを遺したのは、主人公である「おれ」のスタッフだった大学五年生の田城。八月のある日のエピソードが綴られています。私は以前から堀井さんの本をかなり読んでいますが、小説というスタイルの作品に触れたのは初めて。それでも、不思議なことに読後感は、たとえば「若者殺しの時代」「ねじれの国、日本」など、現実社会と向き合った著作と同じようで...なんというか、やるせないんだけどネガティヴにはならない、と言いますか。でもその堀井さんには、いっぽうで東京ディズニーリゾートや落語といった「おとぎ」を題材にした作品も多数ありまして...懐が深いなぁ。

私、元気をもらった、なんて言い回しは好かんのですが、ちょっと厭世的な気分のときに堀井さんの著書を読むと、絶望感を先送りしたくなるというか、人間生きててナンボ気分というか...あっ、そういう感情の揺れを世間一般では「元気をもらった」「勇気をありがとう」と表現/共有しているんですよね、失礼致しました(べつに誰もオレの「好き嫌い」には関心ないんだし)。堀井さんとは、ずいぶん前に雑誌の仕事で事務所に伺ったことがあります。玄関に使い込んだバットが立て掛けてあったのが印象的でした。そして一昨年、私が編集スタッフとして関わった「ALWAYS三丁目の夕日’64」の公式本でもインタビュイーを引き受けてくださり、そのご縁で不躾にもお原稿を依頼したのでした。ご寄稿、心より感謝致します!

 みんなと夏の旅行に行ったときに駅でロケット花火を上げるのを手伝ったのは田城だった。栃木県の駅にしばらく停車したとき、そういえば、このあたりには知り合いが住んでるから、というよくわからない理由で、ホームでロケット花火を勝手にあげることにした。空き缶にロケット花火を差して発車間際に火を付けてホームに置けば、列車が発車したあと、上空でぱーん、ときれいに破裂するだろう、と田城と二人盛り上がって、他の連中には知らせないまま、上げることにした。
 人がホームにはまったくいなかった。ただ、そんなに小さい駅でもない。田城が花火を差した空き缶を持って、おれが火を付ける。発車ベルが鳴った。鳴り終わって、ひと呼吸をおく。ライターで着火した。しゅーっという音がする。その空き缶を田城がホームに置いた。ドアが閉まり始めた。同時に、空き缶が傾きだした。「あ、あああ」と二人、声が出る。ドアが閉まるのと、空き缶が倒れていくのがシンクロしていた。ドアが閉まって列車が動きだした瞬間にしゅっと音がして、ロケットが前方に飛んだ。前のほうで「ぱん」と鳴った。


ウィッチンケア第4号「花火」(P026〜P029)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/03

vol.4寄稿者&作品紹介03 滝口ミラさん

「少しでもたくさんの人を幸せにして、いつまでも覚えていてもらえる人になりたいと思った。」

アイドリング!!! の卒業生、お笑いや芝居でも才能を開花させる滝口ミラさん。寄稿作「死にさえしなけりゃ大丈夫」の原稿を受け取ったときは正直、ちょっと衝撃でした。えっ、あの、事務所でご挨拶したときに可愛らしい笑顔を見せていた女の子(寄稿者を「女の子」呼ばわりはどうよ、とも思いますが、だって女の子! としか言いようのないミニスカート姿でしたし〜)が、ここまでがっちりした作品を書いてくださったのかと。...決して“軽いノリ”で寄稿依頼したわけではないのですが、それでも「選ばれて人に見られる仕事」をする方の底力に、ぐっときてしまいまして。この作品を小誌に掲載できたこと、いまは発行人として嬉しく思っています。

滝口さんのファンは、本作をどう読んだのだろう? いままで彼女のことを知らなかった人は、アイドルの「ネガティヴなぶっちゃけ」だと捉えて同情したのかな? 私は、滝口さんがさらに「先に進む」ために、得意な「文章による芸」も披露してみたのだと思っています。そもそも今回「書いてみませんか?」という話が持ち上がったのも、彼女が舞台の創作台本や新聞での映画評を、以前より執筆していたからですし。歌って踊れて、書けるアイドル! 私は遠くない未来に、滝口さんの書いた物語が本やドラマや映画になればいいな、と願っています。そして、同じものを書く人間として、私のなかにも「いつまでも覚えていてもらえる人になりたい」はあるよ、とも。

 私もお金はないに等しかった。なるべく実家通いがいいのだが、地方からの上京組の私はそうもいかなかった。私は六畳一間の部屋に二人暮らしをし、毎日もやしを食べて生活をし、雑草根性を養った。
 この貧乏生活で分かったことがある。アイドルでいたいなら、食べ物と美容代だけはケチってはいけないということだ。私はなんとか食費節約をするために、安物の麺類やパン、ご飯などの炭水化物ばかり食べて、激太りという大惨事を起こしてしまった。思春期で食べ盛りだったのも重なり、十キロ以上、太ってしまった。不摂生な生活で同時に肌荒れを起こし、ハイビジョンテレビに耐えれないような容姿になり、体調不良で倒れて仕事に穴を開けたことも度々あった。芸人さんの場合、貧乏生活はネタになるが、アイドルは元気が、命。悲壮感を悟られてはいけない。食べ物は一番気を使い、野菜中心の生活でしっかり過ごさなければいけないことを学んだ。
 美容院のお金もきちんと出すべきだった。実績があり自分に合った美容師さんにカットとカラーリングしてもらわないと、少しでも安いところでやってもらうと、大失敗してしまいます。
 そのぶん、節約すべきなのは私服のお金。衣装が用意されていない場合を除いて、一番コストダウンできるところだ。ジーパン一枚、Tシャツ何枚かあれば、充分。おしゃれしたい年頃ですが、そこは衣装でぐっと我慢するのだ。


ウィッチンケア第4号「死にさえしなけりゃ大丈夫」(P018〜P025)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/02

vol.4寄稿者&作品紹介02 長谷川町蔵さん

「ママ、やっぱりマクドナルドが一番だよね」

書き下ろしの新刊「21世紀アメリカの喜劇人」が出たばかりの長谷川町蔵さん。寄稿作「ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド」で、マサキくんはそう発言し、主人公である「あたし」を困惑させます。なぜ「あたし」が困ったのかは、ぜひ本編でお確かめください(ネタバレしませんともw!)。初めて長谷川さんと会った昨年の秋。じつは私、「文化系のためのヒップホップ入門」を読んで勝手に「どんなヒップホッピーな風貌のガイが現れても驚かないぞ」と覚悟してたんですが(恥!)...実際の長谷川さんは、私の「これまで商業媒体に書いたことがないような作品を」という無茶なお願いに面白味を感じてくださる、まさにナイスガイでした。

マクドナルド...。高校生の頃、2人で007の映画を観た女の子と、新宿の歩行者天国でビッグマックを立ち食いした記憶があります。お洒落してきてたせいかとても食べにくそうで、次のデートはなかったですね。でっ、最近は滅多に食べませんが、食べると一食抜いてもいいかな、という胃もたれ。でも、本格的なアメリカンスタイルのハンバーガーを食べると、二食抜いてもいいかな、というさらなる...。なんだか最近の外食は「なにを食べたいか」ではなく「なにを食べなければ我が身を守れるか」になってないか、自分。

 だから今、あたしは銀座三越に来ている。学校が春休みだからマサキも一緒だ。マサキは生涯初銀座のはずだ。田園都市線は平日の昼間でもすごく混むので、マサキは鷺沼あたりからずっとグズっていて、ここまで来るのもひと苦労だった。でも今回の体験をきっかけに銀座が素敵な街であることを知るだろう。そうなれば、来たるべき対ダンナの〝豊洲住み替えバトル〟の第2ラウンドで大きな戦力になる。
 最初に向かったのは、みのる食堂だった。9階とは思えない豊かなグリーンに囲まれたテラス越しに有機野菜で作られたキッズメニューを食べる。銀座に親子で来たからこそ味わえるイベントだと思った。
 でもいざ行ってみると気が引けてしまった。店の中にいるのは、生成りやダンガリー色のシャツドレスに身を包んで、渡辺満里奈的なこざっぱり感を漂わせていたママさんたちと、シンプルだけど上質そうな服を着た子どもたちばかり。きっとみんな豊洲に住んでいるんだ。キャナリーゼとその子どもたち。入り口にズラっと停車したバガブーのベビーカーの大群が、あたしの豊洲上陸を阻むテトラポットのように見えた。あたしはいつか豊洲に住む。でも今はまだその時じゃない。


ウィッチンケア第4号「ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド」(P012〜P017)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

2013/05/01

vol.4寄稿者&作品紹介01 藤森陽子さん

「媒介的な役割り、それができたらいいんじゃないか。」

「Hanako」「BRUTUS」等の雑誌でライターとして活躍中の藤森陽子さんは、寄稿作「観察者は何を思う」でそう記しています。自身がここ数年夢中になっている、台湾茶のケータリング。お茶の世界に魅せられ、惹き込まれていくにつれて、自然に知識や経験が蓄積され“目利き”になっていく...しかし藤森さんは、そんな自分をどこか突き放した視線で眺めています。そして、お茶に関する自分の立ち位置はあくまでも「スキルとしての拠り所であるライター的なもの」と、言っているような。

個人的嗜好ですが、私は「○○○○専門家/ソムリエ/研究者/アドバイザー/愛好家...他にもコンサルとか達人とかetc.」と自称できちゃう人の言説が、ときにものすごく窮屈だったりします。だから、藤森さんの「媒介的な役割り」というスタンス、風通しのよさを感じました。その自覚が持てる人にこそ透視できるものが、きっとあるはずだと。

 「見る」という行為は、台湾茶の場合、その多くは茶葉に関して向けられる。
 まずは製茶された茶葉の色つやをしげしげと観察し、湯を注ぎ、湯の中で大きく開いた茶葉を取り出してはさらに観察する。
 開いた葉の肉厚さや茎の瑞々しさ、発酵具合や焙煎師の技量までも、茶葉の姿は雄弁に物語る。
 味と香りのほかに、この見極めるという行為も、よい茶葉とめぐり会うための重要なステップの一つ。
 現地に足を運び、はるばる訪れた店や茶園で決断に追い込まれる。
 どれを買うべきか、買わざるべきか。
 すでに朝から試飲のし通しでおなかはガボガボ。帰りのバスの時間も迫って来た。最終的な切り札はいよいよ見た目の情報になってくる。
 どうせ今後つき合うなら、いい土と水、日光を吸収してすくすくと育った茶葉を、信頼できる茶師が手塩にかけた〝性格のいい〟茶葉がいい。
 第一印象ばかり調子のいいヤツじゃなく、最初はちょっとシャイだけど、打ち解けてきた2煎目、3煎目から味わいを増してくる方が、だんぜん信用できるし、魅力的じゃないか。
 そんな茶葉との出会いを見逃さないよう、もっと見て、もっと識り、もっと目利きにならなくては。道のりは長い。


ウィッチンケア第4号「観察者は何を思う」(P004〜P011)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

Vol.9 Coming! 20180401

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